秋田市外旭川に産業振興型テーマパークを イオンタウン株式会社 代表取締役社長 大門淳さん

経済効果が年に1,900億円、3,000人の雇用創出…。秋田市の郊外にこんな壮大な計画が持ち上がっていると聞いて驚きました。ですが、秋田市が積極的でないため、その計画が立ち消えになりそうだというのです。

「いくらなんでも、話が大きすぎるんじゃないか」と思い、WE LOVE AKITA編集部は、この計画の推進者であるイオングループの開発会社、イオンタウン株式会社の大門淳社長にお話を伺うことにしました。

大門淳社長(千葉市美浜区のイオンタウン本社)

計画の敷地面積は35万平方メートルで、秋田市の南にある御所野のイオンモール(約13万㎡)の約3倍の広さ。御所野のような「ショッピングセンター」とは異なり、観光客も訪れてくれる「テーマパーク」のようなコンセプトだそうです。

大門社長は、「人口が減少していく秋田で、ただのショッピングセンターを作ってもしょうがないでしょう。秋田のすべてが詰め込まれた”オール秋田”でやれるものを作りたいと思っています。」と語りました。

敷地内は、6つのゾーンに分かれています。観光客が秋田の文化や風土に触れることができる「観光・文化発信ゾーン」、PET-CT検診施設、医食同源をテーマにした温浴施設や薬膳レストランなどを配した「医食同源・ウェルネスゾーン」、農業体験や自然との触れ合いをテーマにした「アグリ&ネイチャーゾーン」、秋田の伝統工芸などを紹介する「伝統/アートクラフト/園芸ゾーン」、秋田の料理や社会見学ができる食品工場などが入る「秋田の味と台所&ファクトリーゾーン」、それから、体験型エンターテイメントが楽しめる「ショッピング・エンターテイメントゾーン」が予定されています。

イオンタウンが提案する外旭川の複合施設は6つのゾーンで構成される

イオンタウンが提案する外旭川の複合施設は6つのゾーンで構成される

ところで、人口減少が日本最速で進んでいる秋田で、こんな大規模な商業施設を作ってやっていけるのでしょうか?

大門社長によると、この計画をまとめるきっかけになったのは、2011年の東日本大震災だったそうです。震災後、イオングループは、その先10年の見通しを外部の研究所に委託して調査しました。その報告によると、東北の太平洋側は復興で手一杯ですが、「秋田には大きな可能性がある」という結果だったそうです。

大門社長、実は秋田市新屋の出身。この調査結果を聞いて、とても嬉しかったそうです。2012年に還暦を迎えた大門社長は、同級生と集まったとき、秋田のためにそれぞれの立場でできることを実行していこうと、語り合いました。それを受け、十数年前に地権者から土地賃借の内諾を取ってあった外旭川の土地を生かしたこの計画をまとめ上げました。

大門社長は、仕事でも秋田と強い縁がありました。1976年にジャスコに入社し、初任地は秋田駅前のフォーラスの前身「ジャスコ秋田店」。各売り場を経験した後、新潟や大阪を挟みながら何度も秋田に赴任。御所野のイオンモールの開発では、当時の秋田市内の33商店街をすべて回り、商業者の説得に当たったそうです。

秋田県は人口比でみると、本拠地の三重県に次いでイオンが多い県です。それを聞いて、マックスバリュ東北の本社がなぜ秋田なのかも、なんとなく分かった気がしました。同社の前身は横手の「羽後ショッピング」と本荘の「つるまい」です。

大門社長は、仕事でも秋田と強い縁がありました

お話を聞く中で、この外旭川の計画は大門社長の「秋田への愛情の賜物」なのだと感じました。このまま行けば、日本で最初に消滅してしまうと言われるほど、高齢化・人口減少が加速する秋田県。大門社長は、秋田がこうした問題に率先して取り組まなければならないし、秋田でそれを克服できれば、日本全国で同じような取り組みができると語りました。そこで培ったノウハウを、将来的には日本と同様に高齢化が問題になる東南アジア諸国連合(ASEAN)などにも提供できる、と夢は広がります。

こうしたショッピングセンターとテーマパークを合わせた複合型商業施設の開発に関して、外旭川の計画のベースになっているは、三重県菰野(こもの)町の複合リゾート施設「アクアイグニス」です。地元の木材を使った宿泊施設、松坂牛、伊勢エビなどの食材を生かしたレストラン。それもパティシエの辻口博啓氏やイタリアンの奥田政行シェフといった日本を代表する食のプロデューサーが参画し、外部から人を呼び込めるお洒落な施設を作り上げたのです。この施設には、年間100万人が訪れるといいます。このプロジェクトを基礎として、現在、三重県多気町に大型のプロジェクトが進行中ですが、このプロジェクトにはイオンタウンも参加しており、2020年の開業を目指しています。

三重県多気のアクアイグニスのイメージ

大門社長は、「私たちの孫の世代に、秋田県はどうなるでしょうか。交流人口を増やすとか、外から移住してもらうとか、それも年間10人、100人とかそんなレベルでやっていたのでは、秋田は本当に消滅してしまいます。もっと大きな視点で、みんなで取り組んでいかなければなりません」と熱く語ります。

ただ、秋田市は、この計画に積極的ではありません。イオンが考えているような経済効果は得られない、というのがその主な理由です。また、この施設での雇用も非正規が多い上、秋田市の中心地と、人材や消費者の奪い合いになるのではと懸念しています。

大門社長は、「今回の計画では3,000人の雇用を想定しています。しかしながら秋田市は正規雇用が少ないからダメだ、中心地から郊外に雇用が移動するだけだからダメだと言っています。しかし雇用が創出されることで若者の県外流出が止められ、逆に県外に出ていった人達がUターンで戻ってくる場が生まれるはずです」と考えているのです。

また、商業者は大規模商業施設の進出に反対するのに、コンビニの出店には大きな反対が起きないことにも首をかしげます。秋田市のコンビニの売り上げを合算すれば、御所野のイオンよりも大きいという調査結果もあります。つまり、大規模商業施設だけが地元商業者の敵ではないということです。もっとも、地元の商店でコンビニに業態転換したところも多いとは思いますが…。

たしかに、秋田市の中心地は、何とかしなければならないでしょう。ただ、古くからの地権者が多く既存の施設もあるため、開発が難しいのが現状です。いくつもの一体開発の計画が、生まれては潰れてきた歴史があります。中心地の再開発には時間が掛かるとういうことは否めません。

これに対し、大門社長は、ユニークな視点で秋田市の中心市街地の問題を見据えています。駅前に活気があったのは、実は非常に短い期間だったというのです。大門社長が中・高校生の頃は、中心地から市役所や裁判所が郊外に移転した後で、駅前には、ほとんど何もなかったのだそうです。商店街と言えば、旭川の向こうの大町や横町や通町で、広小路や中央通りに「街の中心」と呼べるような賑わいはありませんでした。1974年頃から、一時的に大型店や商店等が軒を並べ、賑やかになりましたが、その十数年後には、モータリゼーションによって郊外に駐車場付きの大型店舗が多数出店し、現在は、中心地こそ寂れましたが、以前は何もなかった御所野地区や茨島、新国道沿い、その他にも山王地区、駅東地区、広面等が開発されました。

つまり、秋田市が取り戻したいと考えているものが、時代の価値に合うものなのかということです。商業地というのは、それほど変化の激しいもので、時代の流れに逆らうことは非常に難しいのです。

「秋田にはかつて全国でも有名な経済人がいたんですよ。」と大門社長は言います。辻兵の辻兵吉氏や仲間の方々です。1960年代、30歳代から40歳代で秋田の経済界を背負っていた彼らは、大胆な取り組みを推進し、全国的にも注目されていたのだそう。彼らのエネルギーが、まさに地域社会を動かしていたのです。ですが、今の秋田は他の都道府県に比べて、スピード感に劣ります。外旭川のプロジェクトも、計画当初から5年も経っています。個人的には賛成だと言ってくれる方々が多数おられるので、その方々の支援を得て早期に実現したいと大門社長は言っています。

また、商業者の一部に根強い反対がある現状もありますが、大門社長は、賛成してくれている商業者は多いと感じています。市議会もそうです。7月に秋田市議会の定数39人の議員のうち、16人が外旭川の計画を「実現する会」を結成しました。超党派で多くの会派の方々が参画しています。

大門社長は、こうしてだんだんとこの開発計画に共鳴する人が増え、それが大きな流れとなり実現する日が必ず来ると信じているようでした。

(2017年10月10日)


▼文:竹内カンナ

秋田市出身。WE LOVE AKITA 記者。米経済通信社で長年、日本の金融経済のニュースを幅広く担当したあと、現在は 米経済紙の日本語版の翻訳のかたわら、秋田の活性化について考え続けている。