諸越の伝統を守りながらイノベーションにも挑む かおる堂

創業97周年、かおる堂は秋田市を代表する和洋菓子の老舗の一つです。その社名から洋菓子のイメージを持っていましたが、創業当初は秋田の伝統銘菓として有名な「諸越(もろこし)」の専門店だったそうです。ちなみに「かおる」は、創業者藤井馨さんの名前から取りました。

諸越は小豆粉と水と和三盆などを混ぜたお菓子です

かおる堂にはいくつもの顔があります。創業が宝永2年(1705年)という「元祖杉山壽山堂(じゅさんどう)」、茶道の先生のごひいきが多い和菓子の「翁屋開運堂」のほか、おせんべいの「いなふく米菓」、それにしとぎ豆がき「一乃穂(いちのほ)」もかおる堂のブランドです。

「しとぎ」って何だろうと思っている人いませんか? 前々から放置していたこの疑問、とうとう調べてみました!漢字でしとぎは米の次、「粢」と書き、水に浸した生の米を砕いて固めたものだそうです。神前のお供えなどに使われたものだとか。

伝統的な商品を守る一方、藤井社長はニュースにも目配りを怠らず、新商品の開発にも積極的です。今年4月30日に新しい元号が発表になった時は、11時41分にテレビで発表されるやいなや、画面を社員に転写させて、1時半にはそれを袋に印刷した菓子を店頭に並べました。
その間、わずか2時間弱。ちょうどお昼どきでしたが、従業員に「ごはんは後にしてまずこれをやれ!」と言って。(笑) ま、社長の性格を知っていれば、従業員さんもきっと予想していたでしょう。

菅官房長官の顔入りの新元号記念カオルサブレ

新元号の発表は官房長官の役目。平成の時は小渕恵三氏が官房長官で、発表の様子は、その後、何度もテレビで放映され、小渕元首相の好感度が急上昇しました。現在の菅義偉官房長官は湯沢の出身ですから、秋田県人としてはおのずと力が入りました。このときに記念のお菓子を発売した菓子屋はたくさんありましたが、菅官房長官が図柄に入っていたのはかおる堂だけだと思います。

「なまはげって知られていると思ったら、京都以西では意外と知られていないんですよ」(藤井社長)

昨年、男鹿のなまはげがユネスコの無形文化遺産に登録された時も、こんな箱に入れた一乃穗を販売し、たまたまトピコでお土産を探していた私は、つい買ってしまいました。空箱は今も机の横に飾ってあり、いつもなまはげににらまれながら仕事をしています。

また、世の中の健康志向に目をつけて、こんな商品も開発しました。

「大学病院の先生が考えたサプリ饅頭」は、骨そしょう症予防のサプリとしてで作りました

これは骨粗しょう症の予防に効果があるとされるビタミンDとカルシウムを加えたまんじゅうです。秋田大学医学部整形外科の監修も受けた本格的なサプリ。その上、低カロリー甘味料を使い約40キロカロリーに抑えサイズも小さめなので、カロリーを気にしている人でも罪悪感なく食べられます。この商品はずいぶんいろんなメディアで取り上げられました。お薬のような味がするのではないかと思いましたが、いえいえ、おいしいおまんじゅうでした。この大学病院の先生、実は藤井社長の息子さんです。

かおる堂は、思いやりの心を大切にし、居心地のいい働き甲斐のある会社を目指しています。そうした気配りは、お年寄りや子どもでも簡単に開けられる菓子の包装など細かいところに表れています。包み紙をセロテープで止める時は必ず端を5ミリくらい折って爪でガリガリやらなくてもはがせるようにしています。こうした小さな思いやりを徹底させるのは意外に難しく5年ぐらい掛かったそうです。

また従業員には、駐車場に車を止める時にはバックで駐車しないように言っているそう。駐車場の周囲にある木に排気ガスがかからないようにです。またスーパーなどの大きな駐車場ではスーパーの入り口から遠くに止めなさいと言っているのだそうです。歩くのが大変な人がいるかもしれないからです。

人が見ていないと思って床に落ちた道具を洗いもせずに元に戻すようなことはもってのほか。まさか、って思います?でも実際、私自身、そうした場面を目撃して二度と行かなくなった飲食店が2,3軒あります。

 小うるさいと思う人もいるかもしれません。しかし、かおる堂に入社した人は自然にこの社風に慣れていくそうです。そうした心がけは、仕事だけでなく生活のいろんな場面に少しずつ広がっていく気がします。

新人の採用は学卒を中心に若干名。平均勤続年数が20年前後と長く、定年が65歳、その後も嘱託として週3、4日の勤務で70歳まで働ける制度にしているため、ここ1、2年は新規採用をしていないそうです。

採用の基準は?と聞くと、「まあ、フィーリングですね」というお答え。面接は基本的に藤井社長がするそうです。

従業員数は約90人。入社したら1年目は会社が配属を決め、その後は、本人の希望を聞いてまず洋菓子か和菓子に分かれます。販売担当者は1年ごとに店を変わるそうです。ただ、和菓子専門店などは、茶道の先生など長いお得意さんが多いので、頻繁に人が長く同じ人が担当するようにしています。

伝統を大切にし、「絶対的に変えちゃいけないものは変えないが、変えられるものは変える」という藤井明社長の考え方。たとえば5年前には、「誕生日休暇」を廃止し、その代わりに「親孝行休暇」を導入しました。1日休暇を取って親と食事する、温泉にいる、親が亡くなってしまった人はお墓の掃除に行って親に感謝しましょうという休暇です。

「家族の宥和や親孝行というものは変えてはいけない。食品はそうしたことを大切にする人たちが集まらないと作れない」(藤井社長)

年間休暇は112日。それに有給休暇を最低5日消化することが義務付けられているので、3日に1回はお休みということになります。ただし製造現場も含め年中無休なので、休みは交代制です。お菓子の会社ということもあり女性も多く、出産・育児休暇を取っている人がいつも3、4人います。

子育て世代は保育園から電話があればすぐに駆けつけなければなりません。「正直言って以前は職場に『またか』という空気がありましたが、今はしかたがないことだと思ってもらえるようになってきた」(藤井社長)そうです。

そう、すべての女性が輝く社会を目指す今の時代には当たり前のこと。もちろん、お父さんが駆けつけるようになればもっといいですけどね。

お菓子好きにとって興味津々の新しい菓子の開発。かおる堂では生産部という部署の社員が店を回って、いろんな話を聞いて開発するかどうかを検討するそうです。しかし、必要に迫られて開発する場合もあります。

秋田の米で作ったおかき「一乃穗」がそうでした。このブランドの開発は、秋田市中心地の木内デパートの縮小がきっかけでした。木内は、中心地が寂しくなるにつれ、事業を縮小してきましたが、1991年に食料品売り場を廃止するとテナント各社に通告しました。木内で年間6000万円を売り上げていたかおる堂は、この穴を埋めるにはどうしたらいいかと考え、新商品の開発に乗り出しました。全国のさまざまな商品を調査し、秋田県といえばやはり米だという結論に達し、3年かけて一乃穂の発売にこぎつけました。この商品は発売当初から大人気になり1カ月にもち米にして10トンに相当する64万枚を売ったそうです。同社は年間で秋田県産りんご15トン、秋田県産もち米55トンを使用しているそうです。秋田産にこだわっています!

藤井社長は、かおる堂の経営の傍ら、商工会議所副会頭や暴力団壊滅秋田県民会議理事長、表千家同門会秋田県支部長などさまざまな役職を務めてきたビジネスマン。秋田まちづくり株式会社という秋田市中心街再開発の要である「エリアなかいち」を管理運営する会社の社長を務めたこともあり、いつも秋田の振興を考えておられます。

しかし、実はかおる堂も多くの秋田の企業と同じ問題に直面しています。後継者問題です。藤井社長には2人の息子さんがいらっしゃるのですが、どちらも家を継ぐつもりはなさそう。社長自身、それぞれのキャリアで活躍する息子さんたちに戻って来いというつもりもないので、息子さんを社主として日々の経営をみる後継者を社内で育てるか、銀行に頼んでヘッドハンティングをするかと考えを巡らせています。

お菓子作りに熱心な職人気質の従業員はもうけを度外視しがち。社内の人材に経営を担ってもらうなら、そうした従業員にも経営の数字を意識させるようにしていかなければならないと思っているそうです。

実はかおる堂が、創業が宝永2年(1705年)という「元祖杉山壽山堂(じゅさんどう)」や、天保10年(1839年)創業で高級和菓子の「翁屋開運堂」を傘下に収めたのも後継者がなく廃業の危機にあった両店の救済のためでした。

昔は後継者がいないというと銀行が融資をしてくれなくなるのではないかと心配して隠す会社が多かったという話を聞いたことがあります。しかし、最近は藤井社長のように、まだまだやる気があるうちから、後継者問題を公言される方が増えてきたようです。それを知って「我こそは」と名乗りを挙げたり、いい人材を紹介してもらえる可能性も高まるのではないでしょうか。秋田にも親族で経営を固めず外部の人材を招請して風通しの良い経営をする会社が増えることを期待します。

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取材・写真:佐藤裕佳、薄木伸康 文:竹内カンナ