高校生の長期留学を支援する制度がほとんどない秋田県。それを知った国際教養大学(AIU)の学生たちが秋田県高校留学推進委員会を設立。同委員会が集めた「わか杉のさと奨学金」による支援を受けた第1期派遣生の3人は昨夏、約1年間の留学から帰り、現在は第2期の2人が留学しています。
以前、わか杉のさと奨学金に寄付をされたYURIホールディングスとのインタビューを寄稿していただいた留学推進委員会のメンバーが、派遣生の帰国報告は本人の成長を感じさせただけでなく、秋田の将来への示唆に富むものでもあった、もっと多くの人に聞いてもらいたいと話していたので、3人に留学先での生活や留学を経て感じたこと、今後の夢についてインタビューさせていただきました。ホストファミリーや学校の友人、周囲の大人たちとの交流や企業でのインターンシップなど、彼らのしっかりとした判断や行動に、「え?この子たち、ほんとに高校生!?」と驚くことばかりでした。
留学中、すべてが順風満帆というわけではなく、何度も困難な問題に直面しながら、解決のために行動したり、我慢したり、自分の力で乗り越えての1年でした。留学前を知らないので、彼女たちが留学によって成長したのか、もともと、しっかり者だったのか分かりませんが、この子たちはこれからの人生、どんな困難も切り抜けていくだろうと思いました。
留学中の写真には、現地の友達とのリラックスした笑顔があふれていました。留学前には勉強したことのない言語の国に行ったのに、楽しそうに友達と肩を組んだり、セルフィーを取ったりしている姿が写っていました。こうした友達を一生大切にしてほしいと思いました。
3人とも口々に留学したいとぼんやり思っていたものの留学推進委員会の活動がなかったら留学を具体的に考えることはできなかったと、委員会に心から感謝していました。これまで県内の留学希望者が少なかったのは、留学に関する情報が少なかったことも原因だったようです。委員会のメンバーの話を聞いて留学してみたいと思ったという生徒が大勢いたそうです。今後は、留学生の体験談を聞いて、留学を志す生徒も増えるでしょう。
県内企業の皆さま、留学を支援しても秋田には国際業務を行う企業がないから人材は秋田を出て行くだけという考えはもう古い。秋田で国際業務を行う企業は増えつつあります。また、留学によって愛郷心が強まり、郷土のために貢献したいと考えるようになる生徒も多いのです。留学推進委員会の活動を支援して、秋田を愛する国際人材を育てていきましょう!
それでは、根ほり葉ほり、いろいろ聞いたので、とても長いですが最後までお読みください。
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第1回のわか杉のさと研修生に選ばれた平野亜子さん(秋田南高卒)はドイツ、佐藤明花理(あかり)さん(秋田工高3年)はベルギー、齋藤千愛莉(ちなり)さん(秋田南高3年)はフランスに約10カ月留学してきました。
オンラインインタビューで、最初に口火を切ってくれたのは齋藤千愛莉(ちなり)さんでした。
竹内:どのように高校留学推進委員会のことを知りましたか?
齋藤:小さな頃から海外に興味があり、大学に入ったら留学しようと思っていました。留学推進委員会のわか杉のさと奨学金のことがニュースで取り上げられて気になっていた高1の時、委員会の皆さんが南高に来て留学体験などを話す機会があり、それに参加し行きたいという気持ちが強くなりました。
竹内:なぜフランスに行きたいと思ったのですか?
齋藤:私は秋田県の少子高齢化問題にすごく興味があったので、留学先を決める段階で少子化対策が成功していると言われているフランスに行って、フランスの制度とか家族とかを自分で見聞きして、少子化問題への理解を深め、新しいアイデアを得たいと思ったからです。
竹内:フランス語の勉強はしていたんですか?
齋藤:全くしていなかったです。でも、体験を通していろいろ学ぶことができました。私がお世話になったホストファミリーは、特殊な仕事というか、親と生活できない子どもたちを長期的に預かっている家だったので、フランスと日本の子育ての違いを普通の家庭に滞在するより感じることができたのかなって思います。
竹内:現地の普通高校に通ったのですか?
齋藤:普通高校2年のクラスに入って、現地のフランス人と同じ授業を受けていました。留学生は私だけでした。
竹内:いきなりフランス語での授業は大変ではなかったですか?
齋藤:最初は、先生や友達にとてもお世話になりました。先生の言っていることが聞き取れないので、お願いしてスマホを持ち込み、翻訳アプリで訳していました。板書も追い付かないので同じクラスだったホストシスターにノートを見せてもらって、放課後に家で写したり、それを翻訳して内容を理解していました。
試験もスマホを使うことを許してもらって、リーディングもライティングもそれに頼っていたのですが、少しずつ書けるようになって最後の頃はアプリを使わずに話を理解できるようになり、文章も書けるようになりました。
竹内:留学中一番心に残っている思い出はなんですか?
齋藤:最後のマルセイユ旅行ですね。留学団体の主催で、同じプログラムを受けている日本人や他の国からの生徒たち20人ぐらいで行きました。5日間、フランスの美しい景色を歴史とか美術館が好きなメキシコの女の子とドイツからの男の子と3人で回りながら楽しみ、いっぱいフランス語で話をしました。
大変だったことは、ぱっと思い出せるようなことはありません。強いて言えば、初期の頃の学校の授業はきつかったです。ホストシスターとずっと行動を共にしていましたが、彼女以外には一緒に過ごす人がいなくて、友達ができないんじゃないかと心配していました。でも、英語のプレゼンをした時、ジブリの話をしたのがきっかけでジブリ好きの女の子2人と仲良くなれました。
途中からバスケットボールのチームに入ったのですが、そこでは学年が違う友達もできました。一緒にランチを食べたり、週末に遊びに行ったりしていました。今もSNSでもつながっているし、文通もしています。昨日は、モロッコから来ていた友達がモロッコに帰省したときに送ってくれた絵葉書が届きました!
竹内:授業ではどんなことが印象に残っていますか?
齋藤:プレゼンテーションの授業があり、英語で2回、フランス語で1回プレゼンをしました。英語の2回のうち1回目は日本のことを紹介しました。人口や国旗、日本語の挨拶など基本的なことを説明しました。2回目は日本食について話をしました。
食事の写真を見せて説明し、どんな日本食を知っているかクラスメートに質問しました。そして、たくさん持って行っていたインスタント味噌汁を皆に配りました。フランス語のプレゼンでは日本とフランスの高校の違いについて話しました。フランスでは、一応、クラスはありますが、文系理系に分かれていないので、選択科目があり、空き時間には学校の外に出ていいことになっています。
竹内:寂しくなかったですか?
齋藤:あんまりホームシックにはなりませんでした。ホストファミリーは、家族と預かった子どもたちと私と8人で暮らしていて、4人は子どもだったので、とてもにぎやかでした。そこでの生活がとても楽しかったので、母と電話したときに「寂しくない」と言ったら、母が寂しそうだったこともありました。
竹内:どういうところにフランスと日本の違いを感じましたか?
齋藤:ホストファミリーと、家族って何なの?とか子育てって誰の仕事なの?とかいろんな話をしたのですが、日本と違うなあと思いました。
例えば、大学までの教育費とか子育ての経済的負担が日本よりも軽いように感じました。それにフランスでは、スーパーに子ども連れで買い物に行くと、通りすがりの人が子どもに話し掛けたりとか、荷物を持ってくれたりといったことがほんとによくありました。子育てをすべて両親がしなければいけないとは考えず、例えば、わたしのホストファミリーのような家庭に短期的に子どもを預けることも気楽にできます。日本では子どもを持つことは、とても大きなことですが、フランス人はもっと気楽に考えているような気がしました。秋田県は優しい人が多いので、子育ては親だけの役割じゃないんだよみたいな空気感がほんの少し広まれば、もっとお母さんたちも楽になって子育てに前向きになれるんじゃないかなと思いました。
それから、働くことに対する姿勢が大きく違うと思いました。フランスは休暇や職場環境をすごく重視していて、何か問題があるとすぐにストライキをして自分の権利を主張します。労働者の権利が守られているから日曜日は店が全部閉まっているし、バカンス中は絶対に仕事のメールを返しません。仕事と生活のバランスという点でとても進んでいると感じました。
でも、住んでいるうちに、日曜はお店が全部休みで必要なものが買えず、不便さも感じました。日本のブラックな働き方を改善し、休みを取れるようにすることは本当に必要ですが、そうなると生活は不便になります。どちらがいい、悪いではなく、その国の価値観の違いやその国に根付いている社会の仕組みがあると思いました。
竹内:留学経験を、これからの人生にどう役立てたいですか?
齋藤:私は2つの方面でこの経験を活かしたいと思っています。1つ目は、国際教養大学に入学して、高校留学推進委員会に入って、県内の高校生に自分の留学体験を伝え、高校生の留学をサポートしたいと思っています。
2つ目は、将来の夢ですが、秋田の少子高齢化問題を解決したいと思っています。海外の制度から解決方法を学び、それを役立てたい。もちろん、ある国で成功したからといって他の国でも成功するとは限りません。ある国に根付いている仕組みが、日本でも成功するのか、それとも国民性が違うから成り立たないのかを学び、日本で取り入れられるものはないのかを考えていきたいと思っています。
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次はベルギーに滞在した佐藤明花理さんにお聞きしました。
竹内:どのように留学を決めましたか?
佐藤:高校2年の7月から10カ月間、ベルギーに滞在しました。1年の時、母から留学推進委員会のわか杉のさと奨学金のことを教えてもらって興味を持ちました。小学生の頃に中国に住んでいましたし、英語は幼稚園の頃からNHKのラジオ講座で勉強していました。海外に興味があって留学したいと思ってはいましたが、秋田工業高校では留学した生徒がこれまで誰もいなかったみたいで、留学推進委員会のことを知るまでは具体的には考えていませんでした。この取り組みを知って、すぐにウェブから申し込みました。
竹内:なぜベルギーを希望したのですか?
佐藤:秋田工業では建築を学んでいたので、ヨーロッパの建築物を見てみたいと思い、EUの中心であるベルギーに行きたいと思いました。
竹内:ホストファミリーはどんな家庭でしたか?
佐藤:シングルマザーで、私より2歳下の息子がいました。そのほかに、もう一人、私と同い年のドイツからの留学生のクララがいました。彼女とは同じ部屋に住み、同じ学校に通い、まるで双子の姉妹のように仲が良かったです。「彼女も頑張っているから私も頑張ろう」みたいな気持ちだったせいかホームシックにはなりませんでした。ふたりの時は英語6割、仏語4割で話していました。高校には私たちの他に留学生はいませんでした。過去にも長期留学生はほとんどいなかったようです。
竹内:授業で先生が話していることは分かりましたか?
佐藤:最初はすごく大変でした。どう勉強をしていいか全く分からなかったのですが、放課後、同じクラスの英語が話せる友達と3人で図書館に行って勉強したりしていました。家でも一緒に予習や復習をしたり、ふたりでひたすらフランス語と英語で話したりしていました。
竹内:日本のカリキュラムとは全然違ったと思いますが、勉強が遅れるのではないかと心配しませんでしたか?
佐藤:大学受験はあまり意識していませんでした。ただ、専門の建築については、レポートを書いて単位をもらい卒業はさせてくれることになったのですが評定は付けられず、評定で足切りをする大学は受験できなくなってしまいました。このことはもっと調べておくべきだったと思いますが、その分、留学生活を満喫できたので後悔はありません。
竹内:建築を見たいと思ってヨーロッパに行ったということでしたが、見られましたか?
佐藤:住んでいた町はベルギーの中でも内陸部でルクセンブルクに近いところで、フランス語圏でした。ベルギーには公用語が3つあるのですが、地域によって言語や歴史や文化が違うので建物のデザインも違います。そういうところが面白く、ベルギーに行ってよかったと思いました。
現地の高校でインターンシップに取り組む必要があり、どうせなら建築に関することをやってみたいと思って、内装の会社で職場体験をさせてもらいました。日本だと学校が作ったリストの中からインターンをしたい企業を選ぶのですが、ベルギーでは生徒が自分で企業を探し、自分で連絡してお願いします。私は、顧客との打ち合わせに参加させてもらったり、ショールームに置くテレビ周りの収納のデザインをデザインソフトを使ってやらせてもらいました。面白かったのは、ベルギーでは住宅を引き渡す段階では、水道の配管や電気の配線はできているけど、キッチンには水道管しかないし、壁紙も貼っていません。依頼主は住みながら壁紙を自分で貼ったり、ペンキを塗ったりしてゆっくり完成させていくようです。家具も前の家と行ったり来たりしながら少しずつ運んでいるみたいで、日本と違うなあと思いました。
竹内:ホストマザーが失業してしまったということですが生活に影響はなかったですか?
佐藤:私がいる間にホストマザーが仕事をしていた期間は2カ月もないぐらいでした。でも、現地の留学団体のコーディネーターによると、マザーは留学生の受け入れを無償でやっていたそうです。仕事がないのにどうやって自分の子どもと2人の留学生を養うのかなと思いました。でも、経済的な危機感を感じることはなく週末にパーティを開いたり、普通に暮らしていました。インターネットを止められたり、お湯が止まったりしたこともあったんですが、全然気にしていない様子でした。日本だったら失業したらこんな風に暮らせるだろうかと思い、失業に対する考え方が全然違うと思いました。もちろん、そういう人ばかりではなかったと思いますが。
竹内:一番楽しかったこと、一番大変だったことを挙げてください
佐藤:たくさん楽しいことがありました。一つ挙げるなら誕生日パーティーです。クラスの友達たちがサプライズパーティーを計画してくれました。他の日本人留学生4人も遠くから集まってくれました。事前に気づいてしまったけど嬉しかったです。ホストマザーはいっぱい子どもを招待してくれ、お料理も作ってくれました。
大変だったことは、インターネットやお湯が止まったことで、友達からも「ほんとにこのホストマザーでいいの?」と言われて、クララと二人でホストチェンジをコーディネーターにお願いしたのですが、もう留学期間が半分ぐらい過ぎてからだったので、コーディネーターが取り合ってくれなくてそのままになりました。留学生が私だけだったら精神的にもつらかったかもしれません。
竹内:友達はできましたか?
佐藤:クラスの友達の住んでいるところは離れていたので、週末は家で過ごすことが多かったですが、放課後に一緒に出掛けたりしていました。ベルギーの学校は7週間学校があると3週間休みというようなシステムになっているので、休みの時に車で20分ぐらいのところに住んでいるクラスメートが迎えに来てくれて、そのクラスメートが住んでいる地域のお祭りに行ったこともありました。
竹内:留学して将来の夢が変わったそうですね?
佐藤:はい、子どものことを知りたい、教育について学びたいと思うようになりました。フランス語を早くうまくなりたいと思って、近所の公園に行って小さな子どもたちと遊んだりしていたんですが、子どもたちは見た目が違うアジア人の私にも好奇心を持ってたくさん話しかけてくれました。。そんな子どもたちが無邪気でかわいいなあと思い、小さい頃から異文化に触れる経験の大切さを感じました。
竹内:子どもの教育から秋田の少子化についてもいろいろ考えたそうですね?
佐藤:子どもたちと触れ合っているうちに、子どもたちは異文化にとても興味を持っているので、家族連れの外国人に秋田に移住してもらうことで少子化も改善できるのではないかと思いました。秋田県は東京にアキタコアベースという場所を作ったんですが、そういうところで、小さな子どものいる外国人の家族に秋田の良さを知ってもらって、秋田へ移住してもらえば、子どもたちはきっと秋田を好きになって、将来も秋田に残ってくれると思います。あと、高齢者と子どもが交流できる施設がもっとできるといいと思います。高齢者と共稼ぎの家庭の子どもが同じ空間で放課後の時間を過ごす場所があれば、共稼ぎの家の子どもたちにも大人の目が届くし、高齢者も孤独にならないし、両方にとっていいことなのではないかと思いました。
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最後はドイツに留学した平野亜子(あこ)さん(秋田南高卒)にお話を伺いました。
竹内:どのように留学を決めましたか?
平野:私は高校2年でわか杉のさと奨学金のことを知って3年で留学したのですが、大学に行く前に、視野を広げたかったという理由が大きかったです。もともと海外に興味があったので、奨学金の募集を見て、「チャンスはここしかない!」って思いました。
竹内:3年で留学すると、どうしても大学入学が遅れてしまいますが、気になりませんでしたか?
平野:最初は友達と一緒に卒業したいと思いましたけれど、留学推進委員会の人の話を聞いて留学したい気持ちが強まり、卒業時期が遅れることよりも留学によって得るものが多いと思いました。
竹内:途中でホストファミリーの変更をお願いしたそうですが、どういう経緯だったのですか?
平野:文化の違いから来るものなのか、そのホストファミリーと私との問題なのかわからないのですが違和感を感じて、留学のコーディネーターとよく話し、ホストチェンジをしようということになりました。留学直後の半月を語学学校で過ごし、そのあとホストファミリーの家に住み始め1カ月ぐらいたった時のことでした。その後、「緊急ファミリー」の家で2週間過ごし、新しいファミリーの家に引っ越しました。最終的にたどり着いた先は大きな湖があるとても田舎の村でした。
竹内:行ってすぐに大変でしたね
平野:留学してすぐは、環境の変化についていくのが大変で、がむしゃらでしたので、マイナス思考にはならず、ホストチェンジを、新しい人に出会ういい機会になると前向きに考えていました。
ホストファミリーの変更のたびに学校も代わったのですが、最後のホストファミリーのところでは、学校があまり合わなくて、すべてうまくいくということはないと思いました。その頃は学校にいる時間が苦痛で、なぜ留学したのかが分からなくなって早く帰国したいと思ったのですが、もう一度、原点に返って自分の学びたかったことや、なぜドイツに来たいと思ったかを考え直したことで復活しました。それ以降はホストファミリーとよく話をするようになり、日本文化に興味を持つ地元のグループの人向けに日本語教室を開いたり、幼稚園で職場体験をさせてもらったりしました。
竹内:日本語教室はどういう経緯でやることになったのですか?
平野:「NENJUTSU」と彼らが呼んでいるスポーツのグループが地元にあったんです。日本の武道の一つの流派のようです。それを教える先生とそこに通ってくる人たちのコミュニティーがあって、ホストファミリーから紹介され、見学に行って話しているうちに、「日本語教室とかやれたら面白くない?」と言っていただき、やってみようと思いました。全部、自分で内容を考えて、ワークショップ形式で行いました。
竹内:ドイツ語での授業は大変ではありませんでしたか?
平野:普通高校の1年生のクラスに入ったのですが、最初は全然分かりませんでした。先生によっては、独特な筆記体で書くので板書も読めなくて。でも何回も出て来る単語を一つひとつ覚えていくうちに、ついていけるようになりました。
竹内:授業は日本と同じような科目でしたか?
平野:教育学とか幾つか選択科目もあったのですが、コース選択は行った時には決まっていました。日本と違うと思ったのは理科系の時間で、化学、物理、生物学を1年間で学んでいました。文系だった私にとって、理科の3科目を同時に、かつ多言語で学ぶのは厳しかったです。第2言語の授業はどこの学校にもありましたが、私は留学生だったためクラスの片隅でドイツ語の勉強をさせてもらっていました。
竹内:学校生活はどうでしたか?
平野:日本との違いを感じたのは、授業の電子化が進んでいることです。授業中にプレゼンとかが頻繁にあるのですが、タブレット端末をみんなが持っていて、自分の端末でプレゼンの資料を作っていました。電子黒板も日本より普及していました。日本でも最近はパソコンやタブレットを全員に配布する学校が増えていますが、日本より使いこなしていると思いました。授業スタイルも、日本のように先生が一方的に話すのではなく生徒と先生が共に創り上げるというような感じでした。
竹内:生活の上で日本と違うなあと思ったことはありましたか?
平野:田舎に行ったからかもしれませんが、日本よりコミュニティーのつながりが強いと思いました。小さなコミュニティーの中でイベントやハロウィーンパーティーをして、すごく楽しかったです。それから家族と過ごす時間が長く、きづなが強いと思いました。家族がスキンシップとかで親密さを表しているのを見て素敵だなと思いました。日本に帰ってから家族への接し方が少し変わりました。
竹内:職場体験をさせてもらったということでしたが、どんなことをやりましたか?
平野:近くに幼稚園があったので、そこでできる体験をしたいと思ってお願いしました。日本とは違うところも多く、すごく勉強になりました。向こうの幼稚園では晴れていたらとにかく外で遊ばせます。ドイツ人の大人は自然の中で過ごすのがとても好きなんですが、そういう文化も子どもの時から形成されているのかなと思いました。
竹内:他にも日本との違いを感じたことはありますか?
平野:2つありました。1つは、大学進学に対する考え方です。日本で進学校にいると皆が大学を目指しますが、ドイツでは大学進学に少しマイナスなイメージを持っている人が多いような気がしました。大学に無償で入れるので、私のホストファミリーは、大学生はだらだらしている人が多いとか、わざと留年したりするという印象をもっていました。実際に、ホストファミリーには23歳ぐらいの息子さんも含め大学に行った人は誰もいませんでした。17歳ぐらいの娘さんも進学するつもりはないと言っていました。私自身、なるべく高い偏差値の大学に行って大手企業に就職することを目指す日本の考え方に何の疑問も感じていませんでしたが、ファミリーからなぜ大学に行くのか、何を学びたいのか、どんな将来計画なのか、幾度となく問われたことで、自分が本当にやりたいことは何か考えさせられるきっかけになりました。
もう1つ違うなと思ったのは休暇の過ごし方です。私は、田舎で育ち、休暇というと人が多い都会に行きたいと思っていました。反対にドイツ人は本当に自然が好きで、長い休暇には数週間も何もない湖や山に行って過ごします。家族パーティーも屋外です。日本ではお金をかけて娯楽を楽しむ人が多いと思いますが、ドイツで暮らしてみて豊かさとはお金があることではないと感じました。
竹内:留学をして何か変わったこととかありますか?
平野:料理にさらに興味を持ちました。もともと料理が好きだったので、ドイツ料理をホストマザーからたくさん教えてもらいました。食生活が全然日本と違うので、職業にしたいというわけではないですが、こういう料理を秋田の素材を生かして秋田の人に食べてもらいたいとか、世界の料理を紹介したいと思いました。
進学については、新たな経験をして視野を広げること、自分がワクワク楽しんで学べること、スキルを身に付けることーーこの3つを実現できる進路を決める予定です。
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3人とも12月中に来春の進路が決まったそうです。平野亜子さん、齋藤千愛莉さんはAIU、佐藤明花理さんは東京の大学で幼児教育を学ぶそうです。
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最後に、留学推進委員会の活動についても3人にお聞きしました。
齋藤さん:本当に感謝しています。この活動を始めたのが大学生で、それも秋田出身じゃない人だということにすごく驚きました。沖縄のように県で長期留学を大規模に支援している県があることも知らなかったので、秋田県の高校生は留学の機会が少ないんだって知ったときはすごく残念な気持ちになりました。私は、留学推進委員会の募集がなかったら留学しようとも思いませんでした。秋田には情報がないので、留学は難しい、不可能と思い、行きたい気持ちを諦めている高校生が多いと思うので、実際に留学している人がいて、行ったことによって成長でっきたと感じていることを知ってもらうことによって、心理的なハードルが下がり、もっとたくさんの高校生が行留学にけるようになるといいと思っています。
佐藤さん:大学生の方がこんな団体を作ったことにすごくびっくりしました。それに、今年も3期生の募集をしていて、続いているのもすごいと思います。留学する高校生がもっと増えたらいいと思うし、このわか杉のさと奨学金の制度が、もっと大きなものになって、留学に行きたい子がみんな行けるようになったらいいと思います。
周りの子から留学するなんてすごいと言われましたが、自分で留学してみて絶対に楽しいし、得られるものが大きいから、ちょっとでも行きたいと思ったら挑戦してほしいと思います。
平野さん:高校留学推進委員会の活動は、秋田の企業さんから支援してもらって、ほぼ全額の補助が受けられるというのが非常に魅力的だと思いました。留学する前に秋田の魅力を知るワークショップなども用意されていて、留学先で、とても役に立ちました。秋田の高校生が留学するには唯一無二の留学制度だと思います。県からも支援してもらえるように働きかけをすることも必要だと思いますので、わたしも今後、留学経験者として県が動いてくれるように働きかける活動もしたいと思っています。
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なじみのないフランス語やドイツ語の授業。留学当初は皆さん必死だったようですが、友達や先生に助けられ、帰国するころには授業もかなり理解できるようになったようです。留学によってふるさとである日本や秋田を距離を置いて客観的に見る機会を持ったことで、進学や職業の選び方、子どもや家族について、日本での常識が決して世界の常識でないことに気が付きました。留学によって地元とのきずなを以前よりも強く感じるようになったようです。大きく成長した彼らが、この経験を生かしてどんな人生を送るか楽しみで仕方がありません。
文:竹内カンナ