誰にもできない加工を鹿角でやる誇り 青山精工

 

秋田県鹿角(かづの)市の青山精工は、他の会社が二の足を踏む難しい精密加工に積極的にチャレンジする会社です。また、技術力で顧客を獲得し、試作品や多品種・少ロット生産のみ手掛け量産には手を出さない主義を貫いています。

ウルトラソニック50とウォータージェットの2つの加工機がそうした同社の意気込みを支える先進的な加工機械です。

鹿角市の製造業

鹿角市は、かつて鉱山があり第二次世界大戦以前はとても繁栄していました。秋田に新しいものが入るときはまず鹿角からといわれていました。ちなみに秋田県内で最初に学校給食を始めたのもこの鹿角地域だそうです。

かつては製錬をはじめ鉱山産業を中心とした幅広い製造加工業があったのですが、資源の枯渇とともに人が減って、最盛時の1950年代には6万人だった鹿角市の人口は今、3万人ほどです。

青山精工は、そんな鹿角で1969年に創業、鉱山やボーリング関連から始まり、現在は半導体、電子部品、産業機械の部品や省力機械の設計製造を行うなか、難しい素材の加工にチャレンジし続けてきました。

青山健哉社長

「誰もやっていないから自分たちがやるんだと思ってやってきました」(青山社長)

難しい素材の加工

ウルトラソニック50は、特殊ダイヤモンドを使用しセラミックスやガラス、サファイアガラスなどの脆かったり硬かったりして加工の難しい素材のために導入したドイツの機械です。

脆くて非常に削るのが難しいとされていたセラミックスについては、従来のマシニングセンタという機械で加工しようとしても欠けやすく、うまくいかなかったのですが、2006年にウルトラソニック50を導入することによって加工の道を開きました。この機械は硬くて加工がしにくかったタングステンやモリブデンなどの金属素材の加工にも活躍しています。今では、セラミックスなど脆性材の加工の売り上げが全体の30%を占めているそうです。

また、強い水圧によってどんなものでも切断できるウォータージェット加工機を導入して、熱に弱いなどの理由で加工が難しかった素材の加工でも評価を得て、今は医療や航空機製造業界の顧客獲得にも力を入れているそうです。この2つの加工機を持っている企業は秋田には同社以外にほとんどないとのことでした。

技術をアピールするために様々な展示会に試作品を出展しています。また大学などとの共同研究への参加や、2年前からはアメリカの航空会社ボーイングが進めている産学の共同研究にも入っているそうです。東大との「革新的航空機製造技術開発 産学官連携プロジェクト」のメンバーにも入っていますが、秋田からは同社だけ、その他のメンバーは名だたる大手企業。青山社長は、すぐに結果が出るものではなくとも将来のためにこうしたプロジェクトに参加することは重要だと考えています。

また、加工の技術だけではなく、顧客から「こういう省力機器が欲しいんだけど」とか、「これと同じようなものが欲しいけれど図面がない」といった要望を聞き、製品から図面を起こしたり、顧客のニーズを聞いてゼロから設計し、製造、組み立て、時には電気の配線まで行っているそうです。顧客は注文したらすぐにでも欲しいと思っているので早ければ翌日に納品できるように努め、仕事が早いという評価ももらっているとのことでした。

3Dプリンターのコンテストで特別賞

同社の自由な社風を感じさせるエピソードをお聞きしました。数年前、社員たちが3Dプリンターを使って製作した作品を日刊工業新聞主催の「3Dプリンタクリエイティブコンテスト」に出品し、みごと特別賞を受賞したそうです。ページトップの不思議な物体で、よく見ると、透明な牛の中で人間がギアを回している姿が透けてみえます。前衛芸術といわれたら、なるほどと思ってしまうような作品です。社員が自主的に製作し、応募したそうです。こうやって新しい機械を使いながら、イメージや図面を作品に落とし込むことを繰り返し、顧客の注文通りの製品を作る技術を高めているのでしょう。

鹿角の若者がチャレンジできる会社にしたい

青山社長は、「鹿角は若者がやりがいを持って働ける場所が少ないと言われていますが、鹿角でも面白い仕事ができるんだということを自分たちがやってみせたい」とおっしゃっていました。

同社の社員は地元出身者で周辺の高校、大館市の秋田職業能力開発短期大学校(ポリテクカレッジ)の卒業生が多いそうですが、一度、地元を離れて戻ってきたUターンや結婚して鹿角に来たIターンの人たちもいるそうです。今年度は地元出身の奥さんと一緒に移住してきた埼玉出身の社員が入社しました。機械は、製造業出身者でなくてもパソコン操作に慣れていれば扱えるので、未経験者の採用がほとんどのようです。

青山社長は、会社を大きな家族のように思っています。会社の懇親会や社員旅行も家族連れで参加できるそうです。社内報も発行しているのですが、家族にも読んでもらって会社の様子を知ってもらえるようにわざわざ自宅に郵送しています。

会社の様子を家族にも知ってもらうため社内報は自宅に郵送されます

面白いのは、敷地内に設けた「ジパング紀ノ国屋」。ここでは社長の奥様が時々、ひとり1000円で飲み放題、手料理食べ放題でもてなしてくださるのだそうです。社員数が全員で50人弱と、社員一人ひとりに目が届く規模なのも魅力かなと思いました。

1000円で食べ放題飲み放題の社内居酒屋「ジパング紀ノ国屋」。お料理は社長の奥様けい子さんの手料理です

次世代への布石

現在は、専務取締役として青山社長のお嬢さんの青山亜起菜さんが総務関係を取り仕切っています。社内報を編集されたり広報担当も亜起菜さん。ニュージーランドに留学して福祉の勉強を経て現地で働いていましたが、同地の地震の際に帰国しました。当初はまたニュージーランドに戻るつもりでしたが、工場長に説得され、鹿角に根を張ったこの会社を未来につないでいきたいという社長の思いを実現するため、そのまま地元にとどまることにしました。

青山亜起菜 専務取締役

「いちばん印象に残ったのは、会社の存続は家族を含めた社員のためなんだと言われたことでした。社員は四十何人でも家族を含めると百人以上の生活を支えているのだからと」(青山亜起菜 専務)

実際に働きだしてみると、こんな会社もあるんだという発見や、いろんな出会いがあるとおっしゃっていて、仕事を楽しんでいる様子でした。

実力主義

同社は、「実力主義」を標ぼうしています。青山社長は、「追い越し禁止ではないです」と話し、社員の差別化も必要で、例えば機械加工の技能士の免許取得を推奨し、取得すれば手当が付きます。

ある意味、厳しい人事制度ですが、技術力を切磋琢磨していくためには、常に上を目指す気持ちを持ち続けることが必要なのだろうと思います。

女性への対応

CAD/CAM(コンピューター支援設計・製造)などの作業は女性向きではありますが、現在のところ女性は4人だけだそうです。

女性社員に対しては、産休・育休といった制度はもちろん、働いているときに子供が会社で時間を過ごせるようなキッズスペースを設けています。また、パート社員については希望を聞いて就業時間を調整しています。

子育て世代向けには、子供が5歳になるまで月々一人1万円の家族手当を支給し、手厚くサポートしているそうです。通勤は平均で20分ぐらい。この近さは特に育児中、ありがたいだろうと思います。

求める人材

青山社長に、どんな人材を求めているかをお聞きすると、「挑戦する気持ちのある人、自分から仲間に入っていこうとする人」と答えられました。

社長は、「鹿角には昔、鉱山があり、ものづくりや最先端の機械技術があったんです。そういう土地だから、ものづくりは経済の基本だと思うんですよね」とサービス業志向の高まる中で製造業の魅力を発信し、海外からも受注できるような体制を作りたいと考えているそうです。

いろんなことにチャレンジさせてもらえる

若手代表として石川祐紀さんからお話をお聞きしました。入社時は治工具・省力機器を設計・開発、組み立てまで行う開発部へ配属となり、現在はNC旋盤を使った加工を主に担当。入社10年目。地元高校を卒業し神奈川県で電波障害対応の会社に就職しましたが、1年ほど勤めた後、Aターンしました。都会に行きたいと思っていたのですが、行ってみてすぐ田舎の方が性に合うなと思ったそうです。同業の仕事をしている親戚の影響で、地元でものづくりをする同社に興味を持っていたそうです。

神奈川県からAターンした石川さん

石川さんは、「自分がこうしてみたいということに挑戦させてもらえる。いつもやりがいを感じながら仕事をしている」と話されます。ものを作るのが好きなので、できるだけいいものを作ろうという意気込みで仕事をし、また同じ顧客から注文が入ると、前の仕事を評価してもらえたんだなと喜びを感じると話されました。

平日は仕事で遅くなることも多いそうですが、1歳と3歳のお子さんたちと遊ぶのが楽しいと話されていました。遅いといっても午後8時半ぐらいには家に着いているそうですが。

将来は、「作れないものはない」と言い切れる技術を身に付けたいと思っているそうです。

石川さんに秋田暮らしの良さはどこかとお聞きすると、「大好きな自然が多い環境の中で、のんびりと落ち着いた生活ができるところ」だということでした。神奈川ではなかなか生活環境に馴染めなかったのに、青山精工ではすぐに打ち解けられたそうです。31歳の石川さんの前後の年代が10~15人とけっこう多いことも馴染みやすさにつながったようです。今、機械加工の技術検定を取る準備中だそうです。

取材を終えて

鹿角に製造業が多いのは昔、鉱山で培われた技術が息づいているからだということを実感しました。その鉱業の生産量が落ち込んでからは関連産業は厳しい時代になりましたが、新しい活路を探し続け、成功した会社だけが生き残っているのです。そうした企業が魅力的でないわけがないと思いました。

取材・文・写真:竹内カンナ・渡部みのり

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