WLA:渡部みのり
学生の頃にコンビを結成し、高校2年生でM-1グランプリの東北大会に出場されたということですが、学生の頃からお笑い芸人になることを目指していたんですか?
ねじ:せじもさん
僕は、もともとお笑いが大好きで、『ボキャブラ天国』とか『爆笑オンエアバトル』、『笑う犬』を見て、次の日学校で友達と真似してワイワイやるのが楽しかったんです。お笑いって素敵だなって。
そこで、ササキくんに一緒にお笑いをやらないかと誘ったんですが、最初は断られました。
ねじ:ササキユーキさん
農業高校は、ボクシングをやるために入学したんです。格闘技が大好きで、本気でプロレスラーになりたかったので。担任の先生が部活の顧問でもあり、当時でも珍しいくらいの「熱血先生」でした。ジャージにTシャツで竹刀持っていました(笑)
WLA・渡部みのり
ドラマに出てきそうなキャラクターですね(笑)。
ねじ:ササキユーキさん
でも、1年もやらないうちに痛すぎて挫折しました。ご存知だと思いますが、ウチの高校でボクシングやるのは、ほぼ100%が不良なんですよ。だから、「なんかいやだなぁ」と思えてきちゃったんです。しかも、プロレスラーも不良みたいな人多いなと思ったら萎えてきて、「おれ向かねぇな」と諦めました。
先生は筋が良いと買ってくれていたのですが、「芸人やるんで、やめます」って適当に言ったんです。そしたら、先生が本気にしちゃって、バイクのオートバックス主催のお笑い企画のチラシを持ってきて、「お前にチャンスをやる」って渡されました。ドラマのワンシーンみたいに、めちゃめちゃきまってましたね。
ねじ:せじもさん
絶対、事前に何言おうか考えてたね(笑)。
ねじ:ササキユーキさん
今思えば、引きとめるために僕を試したのかもしれないですけど、もうボクシングをやる気がなかったんです。就職もする気はなかったから、お笑いの道に進もうと決めました。高校卒業して、東京アナウンス学院の「お笑いタレント科」に入学したんです。フリーターでお笑いやるのは心配だからと、親に反対されたので。
WLA:竹内カンナ
私は18歳まで秋田で育ったんですが、秋田弁がほとんど話せません。何でそんなに話せるようになったんですか?
ねじ:ササキユーキさん
僕のモデルはおじいちゃんとおばあちゃんです。両親は共働きだったので、祖父母に育てられたんです。周りの友達に、家であったこととかを話すと、おじいちゃんとおばあちゃんの話し方が一番ウケました。それから、「秋田弁って面白いのか!」と意識しだしたんです。
僕らの世代にとっては、おじいちゃんやおばあちゃんが使っていた言葉なので、何となくなつかしい響きに聞こえるみたいです。「おばあちゃん、この言葉使ってた!」と同世代にはウケます。年配の人にも、「若い子が秋田弁を使ってくれて嬉しい」と喜んでくれます。
ねじ:せじもさん
本当は、秋田弁のネタがメインではなくて、劇場などでは基本的に標準語のネタをやっているんです。コントが好きなので、コントにも注目してもらいたいですね。
秋田の「A」ポーズ
本格的に意識して秋田弁のネタをやったのは、ここ数年です。
ねじ:ササキユーキさん
秋田弁を使ったきっかけは、オーディションに通りやすいからなんですよ。僕らみたいな若手は、持ち時間が1分前後なので、一発ギャグ的にやるとしたら秋田弁だろうと思ってやると、これがよく通るんです。真面目にやっているコントは全然通らないんですけどね(笑)。最初は、目指しているお笑いではなかったので、正直ちょっと抵抗がありました。
WLA:渡部みのり
目指しているお笑いとは何ですか?
ねじ:ササキユーキさん
僕たちの目標は、『バナナマン』さんです。がっちりのコントで有名になりたいと思ってます。ですが、最近では秋田弁のコントに折り合いがついてきて、抵抗がなくなりました。
WLA:渡部みのり
秋田から出たくて、上京したんですか?
ねじ:ササキユーキさん
聞こえの悪い表現ですけど、秋田が好きになれなくて出てきました。本当に何もなくて、途方もなくエネルギーが有り余っていた学生の頃は、何にもできない秋田が嫌で仕方なかったんです。コンビニまでチャリで30分とか、「なんなんだこの街は」と(笑)。単純に、東京に行く口実が欲しかったですね。
ねじ:せじもさん
僕も、ずっと秋田に住むのは嫌だなと思ってました。色んな事を経験してみたくて。もし、芸人になってなければ、どこか遠くに旅に出てたかもしれません。
WLA:渡部みのり
学生時代と比べて、秋田への思いは何か変わりましたか?
ねじ:ササキユーキさん
当時は、上京してもしばらく実家に帰りませんでした。たまに帰っても、「こんな暇なところは嫌だ」と思ってたぐらいで。
けれど、30歳近くになったとき、突然「秋田むちゃくちゃいいな」と思えてきたんです。真っすぐ見ても空が見えるし、東京のぎゅうぎゅう感がなくて。「こんなに空きれいだっけ」というのが分かるようになった。若いときには散々、「空気や水、ご飯がおいしい」と言われたけど全くピンとこなくて。東京に疲れたのもあるかもしれないし、外の目で客観的に秋田を見れるようになったのかもしれません。
ねじ:せじもさん
若いときのとげとげしい感じが抜けましたね。
WLA:竹内カンナ
外に出て初めて、地元の良さが分かることもありますものね。
ねじ:ササキユーキさん
仕事のオファーをもらうようになって秋田弁も武器になるし、ますます秋田に感謝しかないです。
WLA:渡部みのり
秋田のお仕事は他にもやってみたいことありますか?
ねじ:ササキユーキさん
沢山やりたいですね。ラジオもやりたいですし、秋田の番組にも出たいです。秋田の仕事は、本当にいろいろ使ってほしいんです。僕たち何でもできますので(笑)。
芸名の「ねじ」の意味は、構造の最小単位であるねじのように、基本でありかけがえのない存在になりたいという思いでつけました。お笑いにも「はまる」「バカになる」とか意味合いが良いんです。秋田の地域活性化においても、僕たちなりの価値を提供できればと思っています。
WLA
応援しています。ありがとうございました!
最後に一緒にパチリ