11月25日は「大いなる秋田」を聞こう!

実は・・・私、最近まで「大いなる秋田」がこんなに秋田の人に愛されていることをまったく知りませんでした。今、まわりにいる秋田愛にあふれた人たちにこんなことを言ったらハリ飛ばされそうです。

しかし、それだけ愛されているとしても首都圏在住の人たちが吹奏楽80~90人、合唱約100人も集まって11月25日に文京区シビックホールで、「大いなる秋田」のコンサートをやるなんてすごくないですか?それも今年で3回目です!

これは2014年の公演のダイジェストビデオです。

それに指揮者は、新進気鋭の佐々木新平さん。秋田市出身で、イケメンで、内外のオーケストラでひっぱりだこ。普通、彼クラスの指揮者だと、本番前の1,2回の練習に付き合ってくれるだけのことが多いのですが、練習の初期段階から何度も顔を出してくださっているそうです。

佐々木新平さん(Photo:Takashi Fujimoto)

東京公演2018 実行委員の佐藤慶幸さんによると、最初は約10年前に、MIXIの「大いなる秋田」好きな人のコミュニティで、「いつか、東京でも『大いなる秋田』のコンサートやりたいね~」という話が誰がいうともなく自然に盛り上がり、湯沢高校のブラバンOBの飲み会で具体的な計画として固まり、とうとう実現したのが2010年でした。そして、2014年に第2回目が東京芸術劇場という音楽をやる人なら誰しも憧れるいいホールで行われ、そしてさらに4年後の今年で3回目となります。

ここまで県が委嘱して作られた曲が愛されるってめったいないことです。何が魅力なのでしょうか。

東京公演実行委員長で銀座のお寿司屋さんの税所伸彦さんは、「楽曲としてすばらしいことは言うまでもありませんが、秋田は吹奏楽が盛んでブラバン経験者が多い。そのうえ曲の中に秋田県人が誰でも知っている県民歌が入っているからじゃないでしょうか」と話します。ブラバンでホルンを吹いていた税所さんは、学校を出て以来、楽器に触れることなく過ごしていましたが、「大いなる秋田」の2回目公演のとき友達に誘われ、たまたま楽器を貸してくれる人も見つかり参加することにしたのだそうです。これがきっかけとなって、すっかりハマってしまい、今では神奈川のアマチュア・オーケストラにも参加しているそうです。

実行委員長の税所さん(銀座の寿司さいしょで)

知っていますか?

大いなる秋田の第3楽章に入っている秋田県民歌は、山形、長野と並ぶ三大県民歌と言われているそうです。「浜辺の歌」、「赤い鳥、小鳥」といった日本の童謡の生みの親、成田為三作曲。日本で最初に作られた県民歌だそうです。少なくともネットで検索するとそういうことになっている。単に秋田県人が言っているだけではないかと疑っていたのですが、どうも他県の人も認めているようです。

関係者の話を聞いたり練習を聞いたり、過去の演奏のyoutubeを聞いたりしているうちに、「大いなる秋田」は、秋田の人だけじゃなく、ふるさとや田舎にノスタルジーを感じるすべての日本人に訴えるものがあるなあと思うようになりました。メロディーも歌詞も日本の原風景を描いているといってもいいと思います。

秋田の人以外にも愛してもらえる曲であるからこそ、合唱の世界でとても有名な武蔵野合唱団の方たちが第1回目からずっと参加してくださっているのでしょう。実は秋田からも秋田南中学OGを中心とした実力派のクリスタルミラの方たちがはるばる駆けつけてくれます。

どんな練習をしているのだろうと、10月20日と21日、別々に行われた合唱と吹奏楽の練習に行ってみました。20日の夜に行われた合唱の練習は雨の中、赤羽の公民館に50人ほどが集まりました。

大いなる秋田合唱練習

10月20日の合唱練習

指導は山﨑正樹さん。秋田市出身で、中学・高校で吹奏楽経験者。現在は東京で会社を経営するかたわら、社会人合唱団に所属し音楽活動も続けておられます。東京での「大いなる秋田」公演では、第1回から合唱に参加し、前回と今回は合唱の指導をされています。

合唱指導の山崎正樹さん

メンバーへの指導を聞いていると「2番の歌詞は、秋田でいったら小林多喜二的、プロレタリアート的な感じで、イマドキ、これはないでしょというぐらいクサい歌詞。だけど、気持ち悪くなるぐらいハツラツと歌ったほうが逆に伝わると思う」みたいな感じで面白い。第1楽章の「いつの日も、たゆむことなき、ふるさとの人・・・いざやたたえん、とわの栄え、高らかに歌えよ、いざ」なんてあたりですかね。

「追憶」と題された第2楽章は、「あられやコンコン、まめコンコン、ハタハタとれたら、たるもてこい」という歌詞なのですが、山﨑さん、「ここは、ハダハダに埋もれている感じ。わがるかなー」と、昔、秋田ではたはたが獲れすぎるほど獲れていた時代を知らない世代のメンバーの方をちらりと見る。この山﨑さんのハタハタのイメージは、このときは全くメンバーの共感を得られなかったかのようでしたが、練習後の飲み会では、その時代を知っている人たちがそれぞれの「ハタハタ体験」を語りあうきっかけになりました。ハタハタはほんとにたくさんとれていたし、安かったので箱に入れて軽トラに積んで売り歩く人がいたのだそうですが、荷台のハタハタ満載の箱には蓋もないので軽トラが走るとハタハタがポロポロこぼれ落ち、それを子供たちが拾って歩いていたとか、浜辺にブリコ(ハタハタの卵)がたくさん打ち上げられるので、それを拾って食べていたとか・・・。

合唱の練習の最後に記念写真(横から撮ったので入らなかった人ごめんなさい!)

今回のコンサートでは成田為三作品も取り上げます。成田といえば、日本人なら誰もが親しんだ素敵な童謡を作曲した人として有名ですが、今回のコンサートにあたっては山﨑さんらが成田の研究家の江崎公子さん(北秋田出身)を訪ねてお話をうかがい、まったく知られていない、ほとんど演奏されたことのない器楽曲に光を当てました。それが、「”さくら”変奏曲」、「波上の夕陽」、「ベートヴェンの主題によるメヌエット変奏曲」の3曲です。これらは音源もないし、今回の公演で聞き逃したら一生聞けないかもしれません。童謡以外で成田がどんな曲を作っていたのか、秋田に縁のない音楽ファンにも聞いていただけたらと思います。

アンサンブルの練習

アンサンブルの練習

パーカッションの特訓!

成田為三は1893年に北秋田郡米内沢町で生まれ、1945年10月に東京で亡くなりました。童謡の生みの親でありながら戦争中は「真珠湾の軍神」、「行進曲 アジアの力」といった勇ましい曲も作っていました。

山﨑さんは、成田が東京芸大を卒業しドイツ留学では作曲界の元老と言われるロベルト・カーンに師事し、和声法、対位法などを勉強した理論派だったことに触れ、「終戦すぐに亡くなってしまいましたが、もっと生きていたらどんな曲を作っていたのだろうと思います」と成田の人生と彼の生きた時代に思いをはせておられました。成田は太平洋戦争末期、秋田の実家に疎開し、帰京した翌日に脳溢血で亡くなったのです。彼だけではありませんが、あの時代、日本人がどれだけのストレスの中で生きていたのかを思わされます。

成田の話ばかりして、まだ「大いなる秋田」を作曲した石井歓の話をしていませんでした。石井歓は、三種町出身のユニークな舞踏家だった石井獏の息子で、多彩な作品を生み出した作曲家です。「大いなる秋田」は、明治百年記念事業の一環で秋田県から委嘱を受けて作曲されました。最初はオーケストラ向けの予定だったのですが、秋田は吹奏楽が盛んなので、より親しんでもらえる曲にしようということで吹奏楽と混声合唱のための曲になったのだそうです。その意図は見事に当たりましたね。

山﨑さんによると、実は成田為三は石井獏の恩人でもあるそうです。天衣無縫という言葉がぴったりな生き方をしていた石井獏が、さしたる後ろ盾もなく留学したベルリンで苦労していたとき、成田が面倒を見ていたとのこと。石井獏の息子の歓は、「大いなる秋田」の第3楽章に成田の作曲した秋田県民歌を入れる時、どのような思いだったのでしょうか。「100年後に、二人の作品が一緒に演奏されることにミューズの神の粋なはからいを感じます」と、山﨑さん。

今年は、「大いなる秋田」誕生50周年、成田為三の生誕125周年という記念の年なのです。チケット代はわずか2000円です。また、リード作曲の「アルメニアンダンスパート1」、シベリウス作曲の「フィンランディア」まで聴くことができます! シビックホールは丸ノ内線の後楽園駅や三田線・大江戸線の春日駅に直結した便利なホールなので、是非行ってみてください!チケットはぴあやイープラスなどのサービスでも購入できます。

また、この素晴らしい曲とこの曲を愛する人たちの熱い取り組みを応援しようというクラウドファンディングもローンチされています。お金を集めるというより、たくさんの人に知ってもらいたいという思いで立ち上げたそうです。

クラウドファンディングのFAAVOで応援募集中!

秋田出身のみなさん、秋田出身ではないがふるさとを愛するみなさん、成田為三ファン、石井歓ファン、音楽ファンのみなさん、11月25日は文京区シビックホールに集まりましょう!

◎「大いなる秋田」東京公演のすべてが分かり、切符の買い方も分かるHPはこちらです。

文:竹内カンナ

写真:Takashi Fujimoto、税所伸彦、竹内カンナ

 

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