「技術、待遇は都会の企業と遜色ない」株式会社沢木組

 

男鹿市に本社がある総合建設業の株式会社沢木組は、施工実績をみると、「あ、あれね!」、「え、これも?」というような秋田のランドマーク的建築物を数多く手掛けています。また、高速道路や防波堤の建設といった大規模な土木工事のほか、男鹿の海に漁礁を設置するといった港湾土木の工事も行っています。

沢木則明社長に同社の強みを、そして数多くの優良工事を担当した若手の能登谷孝介さんと入社4年目の宇佐美慎太郎さんに入社の動機や働き甲斐についてお聞きしてきました。

沢木組秋田支店

沢木組はどんな建設会社?

沢木社長に、アピールポイントは何かとお尋ねしたところ、真っ先に挙げたのは、2020年3月に完成予定の400トンの起重機船!日本海側、東北地方で最大級のクレーン船で、港湾工事洋上風力発電施設などの建設工事に使われるそうです。

また、同社は秋田県で最初に太陽光発電施設を建設したそうです。確かに会社に入ると、最初にメガソーラーの大きな写真が目に入りました。いち早く取り組んだことで、固定価格買取制度を利用し高い収益を確保できたとのこと。

う一つは、毎年約1600件に上る秋田県発注工事の中から30件しか選ばれない優良工事の表彰を8年連続受賞していることです。

この2つは、新しいことに積極的に取り組む姿勢と高度で安定した技術力を持った会社であることを表しています。

沢木則明社長

社員の大半が技術者

社員110人のうち約70人は各種の資格を持った技術者です。ただ、大きなクレーンのオペレーションを操るクレーン船の乗組員は、簡単には習得できない職人技を持っています。そうした方たちも含めると、高い技能を持った人の比率はもっと高まると沢木社長。

現場での作業はIT(情報技術)化が進んでおり、パソコンが使えないと工事の現場で苦労する時代。現場監督はドローンでの3次元測量なども余裕で出来なければならないそうです。

[ドローンを使っている現場の写真]

太陽光だけでなく秋田県で大型の投資が進んでいる風力発電施設の建設にも力を入れています。風力発電については、これからは洋上風力の時代になることを見据え、総合商社の丸紅と組んで準備を進めています。

先端的な技術を追求する一方、神社仏閣の建設も手掛けています。秋田市内のぼんでん祭りで有名な三吉神社も同社が手掛けました。こうしたいわゆる宮大工の技術を持った職人は少なくなってきています。沢木社長は、伝統技術を未来につなげていきたいと、若い職人の育成にも努めています。日本古来の建築技術に興味のある若いみなさん、秋田にも学べる場所があるんです!

沢木組の施工例

技術力と信頼性

沢木代表取締役は36年前、わずか24歳で社長に就任しました。大学を卒業し東京のゼネコンに入社、海外事業本部で海外からのテレックスを翻訳して、「こんな日本語あるか」と怒られていた駆け出しの時、突然、父である前社長が倒れ、一人息子だった社長が急きょ秋田に呼び戻されました。

それまで父親の経営する地方の建設会社で働くことは、全く頭になかったとのこと。「何がなんだか分からないうちに、次から次に問題が発生して、それを解決するので精一杯。気が付いたら15年たっていました。大変でした・・・」と振り返ります。

現場を支える優秀な技術者たちがいたのですが、建設業界は法律で厳しく規制されていて、知らないとすぐに法律に触れてしまう世界なのだそうです。沢木社長は、「ありとあらゆる官庁の洗礼を受けました」と笑いました。

優良工事の表彰盾と一緒にパチリ!

しかし、社長に就任して15年たった頃、ハッと気付いたら今の基盤が出来上がっていたのだそう。それからは自信を持って会社を率い何にでも興味を持ち新しいことに積極的に挑戦してきました。

「景気の悪い時に採用した人たちは能力が高い上に辞めない。非常に優秀な技術者が揃いました」

沢木社長は現在60歳。「引退の時期は決めてはいないですが、自分がしっかりしているうちに後継者に引き継ぎたい」と話されます。

社長が父の後を継いだときとは全く状況が異なり、後継者の不安はありません。息子3人のうち長男の雄一さんが専務取締役として、三男の直人さんが監査役兼社長室長として社長の脇を支えています。次男も他社で建設関係の仕事をしており、互いに高め合う関係です。

沢木直人監査役 兼 社長室長

沢木組の未来を担う若手たち

沢木組の現場を担う若手の能登谷孝介さん宇佐美慎太郎さんに沢木組に就職された動機や、やり甲斐についてお聞きしました。二人とも沢木社長が高く評価する秋田高等専門学校(高専)の環境都市工学科の出身です。

能登谷さんは入社12年目。最初に同社が8年連続で優良工事の表彰を受けたと紹介しましたが、最近4年の受賞工事には能登谷さんが担当した工事も含まれています。

能登谷孝介さん

能登谷さんは高専4年生の時に、沢木組が秋田県でトップクラスの建設会社だと知り、同社でインターンシップを経験しました。このとき現場を仕切っていた取締役である土木部長の仕事ぶりをみて技術力を実感し、こういう会社で働いてみたいと思ったそうです。12年たち、優良工事の表彰を4年連続で受けても学ぶ姿勢を忘れません。

「沢木組でトップクラスの技術を持った人の下でやってこれたからです。まだ土木の仕事の中でも自分がやったことのないことがたくさんあります。この会社で学ぶことがないと思えるようになることはないと思います」(能登谷さん)

最初の数年は能登谷さんにとってもなかなか大変だったようです。「特に土木部は、社内でも競い合いの精神で切磋琢磨しているので、仕事には厳しい。新人だからといって大目には見てくれません。しかし、それが技術力の向上に結びついてます」。その時期を根性で乗り切れば、あとは頑張れるとか。 

宇佐美慎太郎さん

宇佐美さんは入社4年目。環境都市工学科から沢木組に来た先輩は土木部門に進んだ人が多い中で、敢えて建築部門を選びました。それは、「形に残る仕事がしたい」と思ったからだそうです。一番印象に残っているのは1年目に担当した秋田市内のマンション。工期が短く大変だったそうですが、初めての現場にはやはり特別な思いがあるようです。

お二人に休日の過ごし方をうかがいました。能登谷さんは3人のお子さんがいらっしゃるので家族で出かけることが多いそうです。宇佐美さんは、ラーメンの食べ歩き。イチオシは山王の陸王だそうです。

土木部にも建築部にも若手が十数人おり、互いに電話で情報交換をしたり、仕事の困りごとの相談をし合うなど結束が強いそうです。

同社は、女性の採用にも積極的です。女性社員は結婚を機に退社する人が多いのですが、採用を続けています。2020年4月にも聖霊高校出身の女性が入社予定だそうで、学ぶ姿勢があれば普通科出身でも活躍できる仕事であり、普通科出身の方が向いている面もあるそうです。今、建設業界には女性技術者が増えていますが、沢木組に女性パワーが定着する日もそう遠くなさそうです。

「大企業ってそんなにいいですか?」

沢木社長の「都会の大きな組織で働くことがそんなに幸せなのかどうか、40歳ぐらいで疑問に感じる時が来る」という言葉が印象に残りました。

「私もそうだったから県外で働きたいという気持ちはよく分かります。ですが、40歳ぐらいになった時、都会の大きい会社にぶら下がっていても何もいいことはないと思いました。安定性やステータスがあると思っているかもしれないですが、地方の会社にもいい会社はいっぱいありますよ。うちは退職金や保険も都会の大手企業と比べて見劣りしません。休みも十分に取れます。企業としての安定性もあり、財務内容も健全です」と胸を張りました。

さらに、都会の大企業でも「毎日、満員電車で辛い思いをして通勤しているのに、ある日突然、買収だ合併だといって何千人とリストラされることもある。全国を渡り鳥のように転勤して歩き、家族と離れて単身赴任。九州に行ったと思ったら次は北海道。50歳になると技術者でも子会社に行って営業マンをやらされ、ノルマをこなせないとお払い箱」と、都会のサラリーマンの厳しさを数え上げ、若い人に都会の大企業の実情をよく知ってもらいたい、そうしたら、そんなに都会に行きたいとは思わないはずだと力説されました。

取材を終えて

インタビューの間にちょっと耳寄りな情報が・・・。同社には毎朝直接現場に行く社員がたくさんいるのですが、そういう方たちには車が支給されるそうです。これは給料に換算するとけっこう大きいかもしれません。

◆株式会社沢木組のウェブサイト

◆秋田県就活情報サイト KocchAke!

◆取材・写真・記事:竹内カンナ、渡部みのり