秋田市大町は羽州街道が通り、藩政時代は藩から営業の許可を得た商家が立ち並ぶ町人町の中心でした。今でも伝統的な商業建築が多数残っています。地元出身者として改めてその歴史を伝えるため、そのうちのいくつかを紹介したいと思います。
(1)旧金子家住宅
大町1丁目の金子家。金子家は江戸時代後期に質屋・古着商を営み、明治初期に呉服や太物(錦織物・麻織物)などの卸商を創業しました。母屋は俵町火災翌年の明治20年(1887)頃の建築。呉服、絹綿織物商の店舗として昭和57年まで現役で使われていました。建物は主屋一棟、土蔵一棟から構成され、主屋の屋上に防火用の天水甕(かめ)があります。平成8年に所有者から秋田市に寄贈、秋田市の指定有形文化財として保存され見学ができます。
(2)那波伊四郎商店(那波紙店)
2軒目は大町4丁目にある現役の株式会社那波伊四郎商店(那波紙店)。佐竹藩の御用商人から独立した老舗で、俵屋火災後に土崎の船宿を移築。店舗兼主屋、文庫・商品蔵から構成される典型的な町家で国の登録有形文化財です。通りの反対側に那波紙店の倉庫があります。大正から昭和初期の建築か不明です。上部に刻まれた家印は本家の那波三郎右衛門家と同じ「一に三角」です。
(3)高砂堂
大町からほど近い保戸野通町にある株式会社高砂堂の店舗。佐竹藩家臣であった塚本家が明治27年に大日本帝国政府から菓子製造営業免許の鑑札を取得したのが始まり。明治35年に「高砂堂」と名を改め現在地へ移転新築しました。現在の建物は大正7年に建築、木造2階建、寄せ棟瓦屋根、外壁は白漆喰、ケヤキ材の柱を支えるために地下4mの深さまで松の木杭を埋めています。大正時代のハイカラを現代に伝える希少な建物で平成7年には道路拡幅のために、建物をそのまま移動させる「曳家」でセットバックしました。設計・施工は宮大工の藤本東三郎、国の登録有形文化財です。
(4)宮城屋蒲鉾店
大町1丁目の宮城屋蒲鉾(かまぼこ)店。昭和2年に蒲鉾製造業として創業時に建築されました。秋田県内で唯一全国かまぼこ連合会に所属する蒲鉾専門店です。秋田のお正月の食卓に欠かせない伝統の味を守っています。秋田市の「市民が選ぶ都市景観賞」を受賞しています。
(5)こもせもうる大町商屋館
今回紹介する唯一の平成建築です。地域の伝統と調和した建物としてご紹介します。大町1丁目に平成4年に通町の拡幅の際に建設されました。設計は旭北錦町にある株式会社小野建築研究所。建物は旧金子家住宅の並びに面しています。正面には備前焼の甕(かめ)が埋め込まれています。大正4年創業の青井陶器店、大正期創業の電気店「トガシ電器」など老舗が入居しています。秋田市の「市民が選ぶ都市景観賞」を受賞しています。
(6)旧大島商会
大町6丁目の旧大島商会。明治34年建設された秋田県内最初の高級雑貨等を販売する百貨店としての煉瓦造の建築で、1階正面中央のアーチ型の開口部まわり、基礎、建物の四隅に男鹿石の切石が使われ、赤煉瓦壁に映えます。また補強のため側面と後ろに控壁(ひかえかべ)があるのが特徴です。秋田銀行重役だった大嶋家へ婿養子に入り、大島商会を創設した大嶋勘六が経営し、洋品雑貨の分野では県内を代表する商店となりましたが昭和の初めに廃業します。建物を購入した老舗企業が昭和24年頃にラーメン店を開業、その後は喫茶店、倉庫、ゲームセンター、焼肉店などと変遷し、平成6年から生花店花京都が入居しています。国の登録有形文化財に指定されていますが道路拡幅工事のため移転するか解体するかの瀬戸際にあります。
(7)旧秋田銀行本店本館
最後は大町3丁目の旧秋田銀行本店本館です。旧秋田銀行は、渋沢栄一が設立と経営に関わった第一国立銀行の秋田支店を譲り受け池田甚之助、辻兵吉らが発起人となり、明治29年に開業されました。この建物は明治42年着工45年完成。内務省土木試験所長を務めた牧彦七のもとで、秋田県技師である山口直昭が意匠設計、星野男三郎が内部設計を担当しました。外観はルネサンス様式で男鹿石の基礎に、下部は日本窯業の白磁器タイルと男鹿石のグレーで縞模様を表現。上部は大阪窯業の赤レンガで仕上げています。市に寄贈され昭和60年に秋田市立赤れんが郷土館として一般公開されました。国の重要文化財に指定されています。
秋田市の伝統建築が長く残ることを願っています。
参考
・秋田市HP
・株式会社フィディア総合研究所(荘内銀行、北都銀行グループのシンクタンク)「歴史を語る建物たち」
・産経新聞「東北たてものがたり 歴史的建造物を訪ねて」
▼文と写真 薄木伸康