秋田を元気にしたい人たちと話をしていると、よく武田昌大さんのお名前が出てきます。実は秋田だけではなく全国の町おこし界の有名人です。そして実はWE LOVE AKITAの先輩!
お米のネット販売「トラ男プロジェクト」を創業し、五城目の「SHARE VILLAGE町村」の立ち上げに関わり、お江戸は日本橋におむすびや兼秋田居酒屋「ANDON」を開店し・・・。さらに、全国で講演活動もしています。
ー町おこしに取り組み始めたきっかけは?
大学を出て東京で働き始めたとき、地元が圧倒的に衰退して、6年ぐらいの間に急にシャッター街になってしまったことにショックを受けました。ふるさとがなくなってしまうような感じがしたんです。今まで、まったく秋田のこと考えてなかったのに、秋田のために何かしなきゃと思ってネットで検索をしていたら、「WE LOVE AKITA」を見つけ、僕より年下の人たちが立ち上げたと知って「まじか!」と思いました。それでWE LOVE AKITAに入って、「秋田とはそもそもなんぞや」ということを勉強しようと思いました。
ーどんな活動をされたのですか?
まず、WE LOVE AKITAと秋田魂心会が合同で開催したイベントに行ってみました。その時が3回目だったそうで総勢400人が集まったそうです。フェイスブックなんてなかった時代に。
最初は土日に、ファーマーズマーケットに出店して秋田のものを売ったりしていました。それがトラ男の原点です。商品は知り合いの農家や実家とかから仕入れました。それが2009年でした。
でも、「東京のマルシェに秋田から出店する意味って何だろう」と考え込んでしまいました。秋田から輸送コストかけて、出店料払って。確かに買ってくれる人はいるかもしれないけど、生産者じゃない自分が語るストーリーに意味があるんだろうか。農家のネット通販がまだ主流じゃなかったので、買ってくれた人にリピートしてもらうことも難しかった。
実は農業のスーパーどしろうと
このままでいいのかと考えているとき、自分はITが得意だったので、それを秋田の農業に活用できるんじゃないかという仮説を立てました。僕は公務員の家庭で育ったので、25年間、土に触れたことがなかった。コメが何月にできるかも知らなかった。農業を活性化しようと思ったけど農業のスーパーどしろうとでした。でも、何とかしたい!「よし、農家に会いに行こう」と思って、月~金は東京で働いて、土日は秋田に帰って車に飛び乗って、その辺で働いている農家の人をつかまえて、「すいません、東京からきたんですけど、農業教えてください」って頼んで回りました。アポなしで。農作業を手伝いながら、「今何の作業やってるんですか?」ってヒアリングをしました。そのうち、「おめ、きょう飯くってぐか?」と言われて、そうしていると「酒飲んで帰れねなら泊まってっか?」と言われて泊まって、それを繰り返して3カ月で100人にヒアリングしました。
農家100人と主婦100人にヒアリング
100人に聞いたとき、自分の中で秋田の農業の課題がみえてきました。その中で、僕は「流通」がネックだなと思いました。一所懸命こだわって作ってもJA(農協)に出荷し、流通にのる過程で混ぜられてしまう仕組みを知って、「ありえない」と思いました。その上、生産コストは上がっても買い取り価格は下がっていく。2010年は米価が過去最低に下がった年でした。「来年はもう農業やめよう」という人がたくさんいました。そんな人たちを見ていて、逆に大変なことはいっぱいあるけど「農業のやりがいってなんだろう?」と疑問に思いました。それで聞いてみたら、自分のところに直接お米を買いに来てくれる人たちがいて、その人たちから「いやあ、うめがった。来年の新米もよろすぐ!」と言ってもらうのがうれしくて続けているんだっていうんです。「だったらお客さんに直接売ろうよ」と思いました。
次に、「東京の消費者ってどうやって米を買うの」って思って主婦100人へのヒアリングもやりました。スーパーの米売り場で、「なんでその米を買うんですか」と聞きました。でも誰も答えてくれない。どうも、これは新手のナンパだ思われているんだなって気が付きました。それで、「最近、僕、ここに引っ越してきたんですが、どのお米買っていいかわからなくて」という風に質問を変えてみました。そうしたら「あら~、わたしはこのお米お薦めよ」と教えてくれました、そしたら、「え?なんでですか」とちゃっかり聞く。そうやってスーパーでのお米の買い方が分かりました。
その結果、スーパーで分かるお米の情報は3つしかない。一つは価格、一つは品種、もう一つは鮮度。でも誰がどうやって作っているということは全く分からない。それで、スーパーでは売らないと決めました。
トラ男プロジェクト始動!
その頃、既にお米のネット販売業者は数万ありました。でも、こんなにあるのだから売れないかもしれないという心配はしませんでした。「売るんだ」と思ってました。東京と秋田は遠いけど、距離を縮めるネットというものがあり、ソーシャルメディアがある。ソーシャルコマースという言葉が出てきた頃でした。東京で米を食べるイベントもやりました。そこに来た人たちとフェイスブックやツイッターでつながり、ウェブサイトに来てもらえるようになりました。米を食べてもらい、ストーリーを聞いてもらい、農家のファンになってもらう。ファンマーケティングの先駆けでした。とはいえ、田んぼは電波が届かないところも多いし、農家からの発信はあまりなかったけれど、「おいしかった」という声が直接届くようになりました。そのころのフォロワーは数千人だったかな。でもメディアで取り上げてもらうごとに上がっていきました。
このあたりで「トラ男プロジェクト」について簡単に説明しておきましょう。「トラ男」って、聞いて、「虎男」っていう人がいるんだろうとか思っちゃっている人いませんか?なんかいそうですよね。秋田の農家で寅年生まれの人とか。あるいは阪神タイガースのファンなんだろうとか。でも、実は違うんです!「トラクターに乗る男前農家集団」の略なんです!
「トラ男」は、米の流通を変えると決めた武田さんが、農家のヒアリングをしながら知り合った専業農家の3代目の3人と始めた米のネット販売です。「クロスリバーサイド農法」で土にこだわった「燃える愛菜家のTAKUMI米」。もちもちとした食感で冷めても美味しいそうです。「金色の山男YUTAKA米」は東京タワーより高い山の上で作っている棚田米です。旨味の詰まった美味しいお米です。「水田の貴公子TAKAO米」は「8000年ミネラルウォーター農法」。世界遺産白神山地のミネラル豊富な水で育ったキラキラ・香りが豊かなお米。それぞれにストーリーがあります。
ー生産者が丹精込めて作ったお米は高くても売れると考えたわけですね。JAのお米よりどのぐらい高く売っているのですか?
1.5倍とか2倍です。値段が安いから買うという人には買ってもらわなくていいと思ったので。単一農家100%のお米はなかなか普通では手に入らないこだわりのお米です。その価値や想いを理解してもらいたくて。
ー資金をインターネットで多くの人から寄付や投資を募るクラウドファンディングで集めたそうですね
農業でクラウドファンディングをやったのはトラ男が日本で最初です!「Readyfor」というクラウドファンディングサービスが日本に登場した時の最初の6プロジェクトのうちの1つがトラ男でした。
ークラウドファンディングが「使える」と思ったのはなぜですか
最初僕らからクラウドファンディングに目をつけたわけではありませんでした。Readyforから話が来たんです。ツイッターで情報発信していたのでソーシャルメディア×農業をやっているグループの中で目立っていたようです。そのあとNHKの「クローズアップ現代」で取り上げられました。
Readyforの時には目標金額を集められなかったのですが、クラウドファンディングを成功させるにはどうすればいいかということを学びました。翌年は「CAMPFIRE」で予定した金額を集めました。
ー秋田の人が多かったのですか?
秋田と東京、半々くらいです。東京では毎月イベントを開催していたので応援してくれる人ができ始めた頃でした。
クラウドファンディング 6つのポイント
━クラウドファンディングを成功させるコツというのは?
6つあります。1つはどのプラットフォームを使うか。プラットフォームによって扱うプロジェクトの特性も支援者も全然違うので自分たちがやろうとしているプロジェクトにどのプラットフォームが適しているかの見極めが大切です。
次はタイトルです。最初の時は「ソーシャルファーマー・トラオ・プロジェクト」というタイトルだったんです。でも、これが、そのままフェイスブックとかに流されても誰もクラウドファンディングだって気づかないじゃないですか。キャンプファイヤーの時は、拡散されたときのことを考えてタイトルをつけました。
3つ目に大事なのは金額です。「シェアビレッジ町村」は、古民家を改築して宿泊施設にするプロジェクトだったのですが、「Makuake」さんを通して「年貢を納めて村民になりませんか?」と呼びかけて資金を集めました。これはグッドデザイン賞を取りました。このときの目標金額は消費税を入れて108万円でしたが600万円以上集まりました。古民家再生するのに100万円で足りると思いますか?全然足りません。じゃなぜ100万円かというと、達成率が大事だからです。なぜ、それが大事か。これはビールがあると伝えやすいんですけど!ビールの量が同じでもグラスによって半分しか入っていないように見えたりいっぱいに見えたりするでしょう?その溢れかえっている感じがいいんです。
━シェアビレッジの時はバズりましたね?
最初の32時間で100万円を達成しました。Makuakeがメディアに声を掛けてくれて、ネットメディアやニュースサイトに取り上げてもらったんです。それに、このプロジェクトのメンバーも各々がフェイスブックの友達が1000人とか2000人とかいる人たちだったので、その人たちがSNSでシェアしてどんどん広がっていきました。だいたい「年貢を収めて村民に」って、「なにこれ」って思うでしょう?リンクを開いてみると、「寄り合い」だ、「里帰り」だとかって。「なんだこいつら!」って面白がってもらったんです。
ースピードって大事ですか?
クラウドファンディングでは3日以内に30%を集めないと達成率が下がると言われています。その意味でも目標をあまり高くしないほうがいいと思います。
ーあとの2つはシンプルです。コンテンツ、動画、写真、テキスト。コンテンツが共感を呼ぶかとか写真がビジュアル的に美しいのかとか。最後はPRですね。そこはソーシャルメディアとリアルメディアを両方使わなければいけない。クラウドファンディングは、インターネット上でリンクが拡散していくことが大事です。ソーシャルメディアの拡散力が自分は弱いなと思う場合は新聞、雑誌、テレビに出してもらう工夫も必要です。
ー昨年、秋田に引っ越したそうですね
そう。僕が会社を立ち上げたのは26歳のとき。普通に考えればすぐ移住ですが、僕はその時、20代後半は東京でネットワークを築こうと思っていました。秋田に戻ってから東京にネットワークを作るのは大変です。僕はその時、フェイスブックで友達5000人にしようと決めました。ちなみに2年前に5000人を達成しました。30歳代は地元で活性化をやりたい。
ーWE LOVE AKITAは東京から秋田を盛り上げようと思っているんですが、やはり地元に戻ることは重要ですか?
いろんな県に行っていろんな地域活性化事業を見てきて、地元に住んでない人が地元を活性化するってどうなのと思いました。東京に住んでる限りよそ者でしかない。でも、地元にいなければできないことがある。それで地元に拠点を構えました。すげえでかい家を!元公民館みたいな建物で空き家になっていました。大館能代空港があるので東京まで1時間半。めっちゃ便利です。でも100%秋田に住むわけではない。秋田と東京の二拠点生活になります。
ーこの先はどういうプロジェクトを考えておられますか?
僕の人生の軸は秋田を元気にすることです。農業でトラ男をやり、古民家の再生でシェアビレッジがあり、都会と田舎をつなぐのがANDON。ANDONはシェアビレッジの「村役場」という位置づけでもあります。トラ男の延長でもありますが、これをどんどん展開したい。もう2店舗目の計画が決まっています。それからお米の消費を増やすことにつながるプロジェクトや、加工品なんですが海外のプロジェクトも始まっています。
それから、農業やりたい若者を秋田に連れ込みたい。この5,6年、お米を外に売る力を高めることに取り組んできました。米が売れるようになったら、逆に今度は若手農業生産者を増やすことに取り組みたいと思っています。
ー農業やりたい若者を集めてもすぐに農業はできませんよね
トラ男の田んぼで働いて学べるようになったらいいなと思っています。あとは行政の収納サポートも様々あるのでそこと合わせて広げられたらと思います。
それからシェアビレッジも増やしていきたい。秋田に2015年、香川に2016年にできました。3村目、4村目と増やして将来的には12エリアにシェアビレッジを作りたいと思っています。シェアビレッジは日本全体を一つの村ととらえて、村民は沖縄にも北海道にもいる。その人たちに年貢を納め続けてもらうために全国にシェアビレッジを点在させるというのが自然の流れです。
あと、トラ男をやったのだからトラ女を作れという声があります。これもできたら面白いなと思っています。
僕は北秋田市の鷹巣の出身ですが、今地元でも新しい動きが起きています。北秋田発の木製品ブランドの構築です。県北の米代川流域には木材の文化があります。昔、鷹巣は木材関連会社がたくさんあって、そこで働く人のために商店街ができ、飲み屋ができて町は賑わっていったんです。そんな木の町、北秋田からの木工製品を作って外に向けて販売し、「へえ、これ、北秋田で作っているんだ。行ってみたい」って思わせる仕組みを作りたい。うちのチームはすごいですよ。製材会社、木工職人、デザイナーもいます。オール鷹巣です。
ープロジェクトを誰と組んでやるかって難しくないですか?
自分がこれをやりたいというのが固まっていたら、必要な人材って見えてきます。そういう人とたまたま出会う。ビジョンを聞いてもらう。逆にちょっとくじけそうなときに強力なビジョンで引っ張ってもらうこともある。やりたいことが決まっていれば、出会ったときに逃さないんです。やりたいことを発信することが大事です。シェアビレッジの古民家も、人が集う場所を作りたいと発信していたら出会えました。トラ男をやっていて感じたのが、ネット販売のビジネスは「外貨」を稼ぐことはできても、人口減少は止められないということ。このままでは秋田は元気にならないって思いました。秋田に来てもらって、最高の場合、住んでもらうために人を呼び込む拠点を作りたいと思っていたところたまたま出会えた古民家が五城目だったんです。
インタビューを終えて:
やりたいことをしっかりと見据えていれば、それを実現するために必要な仲間とは必ず出会える、やりたいことを発信していれば、それを実現させられるチャンスが向こうからやってくる。
少なくとも武田さんは、そうやって一つずつやりたいことを実現してきました。今の世の中、インターネットで、そういうマッチングの機会が増えています。でも、そのチャンスをものにできるかの決め手は確かな判断力。そこのところは今も昔も変わらないなと思いました。
取材・文・写真:照井翔登、竹内カンナ