秋田の偉人、白瀬中尉の無念を晴らし南極点到達を実現してください! 阿部雅龍さん

 

阿部雅龍さん38歳。秋田県出身の冒険家。11月に秋田出身の探検家白瀬(漢字は直の字を3つ山形に重ねた)が約110年前の1912年に途中リタイアしたルートで南極点を目指します。雅龍さんの子どものころからの夢へのチャレンジです。昨年はコロナ禍で飛行機が飛ばず、1年先送りになりました。今年もコロナのため特別な入国許可が必要で現在(9月5日)、奔走中です。

冒頭の写真は、彼の大学以来の友人、高橋こうたさんが写真コンテスト「Portrait of Japan」で入賞を果たした雅龍さんと白瀬中尉の面影を重ねた作品。この写真が8月下旬、彼の旅立ちを祝うかのように渋谷の街の各所に飾られました。

雅龍さん、名前の読み方が分からなかったので、なんとなく「ガリュー」さんと呼んでいました。英語で猛獣のうなり声を「Grrrr」と書きますが、彼の男っぽいイメージと猛獣のうなり声とが重なってそう呼んでました。ほんとは「まさたつ」さんです。

コロナ禍で1年先送りされたこの計画について雅龍さんにオンラインでお話を伺いました。

8月29日 ZOOMでインタビュー

船のチャーターからして難航した白瀬中尉の時代と違い、今は、チリのプンタアレナスから南極のユニオン氷河に定期的に飛行機が飛んでいます。皇帝ペンギンウォッチングツアーなども催されており南極に観光で行くことも可能な時代です。500万円ぐらい出せば誰でも。

チリと南極間のフライトと南極のベースキャンプ運営をほぼ一社で独占するALE(アンタークティカ・ロジスティクス・アンド・エクスペディションズ)は、ウェブサイトを見る限り、今のところ、11月10日から南極行きフライトを運航する予定のようです。

出所:Google Street View

白瀬ルートは難ルート

秋田県にかほ市出身の白瀬中尉は110年前、人類未踏の南極点を目指しましたが、直前にロアール・アムンセンに先を越され、目的を学術調査と領土確保に変更して目指すも、食糧不足など数々の厳しい状況の下、涙をのんで撤退を決断しました。

白瀬中尉は5人で犬ぞりで進みましたが、雅龍さんはスキーを履き、出発当初は150キログラムもある食糧、燃料を載せたソリを引いてひとりで歩きます。すべての荷物を持ち歩き途中で補給を受けません。11月から1月にかけて、南極はいちばん気候が穏やかですが、それでもマイナス30度、強風を計算に入れると体感マイナス50度

憧れの白瀬中尉の夢を完遂したいと具体的に構想を練り始めて、このルートがなかなかの難コースであることが分かりました。1200キロメートルもある上、スタートポイントとなる大和雪原が、ALEのベースキャンプから2000キロメートルぐらい離れているのです。

歩く日程は70日ぐらいを想定していますが、天候などの条件によってはもっと長くなる可能性もあり、無補給を目指しているので荷物はできるだけ軽くしたい一方で足りなくならないようにしなければなりません。

驚愕の冒険メシ

いかに荷物を軽くするか。雅龍さんが魁新報に執筆した手記で前回の南極行きの時の食事のことを書いておられました。驚愕の献立です。ちょっと引用させていただきます。

1日8千キロカロリーを消費する。一般的な成人男性の基礎消費カロリーの4倍に相当する。通常の食事では到底補えない。今回、バターを毎日200グラム食べることにした。歩き始めは油過多で終日吐き気がする。ところが1週間もすると身体が拒絶しなくなる。 カロリー摂取に特に効果的だったのがサラミだ。豚の脂は人間のそれに近いといわれる。食べると体温が上がるのが分かる。日本人なのでフリーズドライの白米も欠かせない。1日当たり重量1キロの食事を構成する。それにより6千キロカロリーを摂取できる。足りない2千キロカロリーは、体に付いた脂肪を燃焼させることで補う。そのため出発前に体重を5キロ増やしておいた。ガソリンと割り切った食事にも少しばかりの楽しみを用意した。3日に1度だけ、フリーズドライのみそ汁をお湯に溶かしていただく

この写真はウケ狙いですよね?とお聞きしたら、いえ、いつも丸かじりです。一度に一本食べますからと平然とおっしゃっていました

バター200グラムってスーパーで売っているあの四角い箱全部ってことです。サラミも、普通2ミリぐらいに薄く切って食べますが、豪快丸かじりで1日1本食べるそうです。強風の吹くマイナス30度の雪の上を歩くというのは普通の人間は数時間で死んでしまう世界で70日間も毎日10~30キロメートル、平均20キロメートルぐらい歩くということが人間の肉体にとってどれだけすごいことかということの実感がわいてきました。アルコールもエネルギーになりそうですが、行動中は一切飲まないそうです。

4000メートル級の山脈

白瀬ルートの難しさはそれだけにとどまりません。南極大陸はだだっぴろい平原のイメージがありますが、内陸には4000メートル級の南極横断山脈がありますし、クレバス帯もあります。それを越えていかなければならないのです。白瀬隊は山脈に到達する手前の南緯80度05分大和雪原(やまとゆきはら)で撤退を決め、この先はまさに前人未踏、雅龍さんはここから1200キロメートルの冒険を始めます。

登山ではないので山頂を目指すわけではなく、山と山の間の谷を縫って歩くのですが、それでも3200メートルぐらいまでは登ります。150キロの食糧や燃料を搭載したそりを引きながらです。(行程が進むほどに軽くなるとはいうものの・・・)

途中にはDevil’s Ballroom(悪魔の舞踏場)と呼ばれるクレバス帯もあります。衛星写真によってどこにクレバスがあるかはベースキャンプである程度教えてもらえるのですが、隠れたクレバスもあるので油断はできません。万が一、クレバスに落ちてしまったら、衛星携帯でALEに連絡して救助に来てもらえないのかとお聞きしたら、クレバス帯は飛行機の着陸が難しいので、その可能性はほぼなく、一発アウト。自力で上がれなければ静かに凍死を待つしかないと、凍てつく北極海に落ちても生還した雅龍さんですら覚悟を決めているそうです。ヒョエーーー

出所: alverenicoll, Instagram

この難コースに挑むため、雅龍さんは周到に準備をしてきました。2019年には日本人として初めてメスナールートで南極点に到達しました。

白瀬ルートはそれよりさらに300キロ長くなります。メスナールートの時は異常な積雪で荷物を運ぶソリが雪に引っ掛かり計画を上回る55日掛かりましたが、今回はそもそもの予定が70日です。

70日ぐらい掛かるということは、予定通りでも南極点到達は1月半ばになります。ALEという会社は、冒険家の安全のため期限を決め、南極の短い夏の終わりが近くなると冒険家たちを強制的にピックアップに来るそうです。白瀬ルートは長いのでコンディションによっては、この強制終了のリスクも否定できません。

お金の話

ベースキャンプから白瀬隊の出発点のクジラ湾までは雅龍さんが1人で飛行機をチャーターします。この場所は、オーストラリアから船で南極に向かった白瀬隊にとっては自然な出発点でしたが、今の時代は唯一のアシがユニオン氷河を拠点とするALEで、そこからクジラ湾まで飛行機をチャーターせざるを得ず、この計画をALEに相談したところ、概算1億円と言われたそうです!

普通、この金額を聞いた途端、諦めたくなりますが、雅龍さんの辞書には、諦めるという言葉はなく、思っていたよりカネが掛かるが、どうやって資金調達するかしか考えなかったそうです。ちなみに2019年のメスナルートの時は1500万円だったそうです。

学術的な目標を持った「探検」とは異なり、「冒険」にはなかなか公的支援や大企業の寄附は望めません。しかし、雅龍さんは、自ら経営する浅草の人力車ビジネスの収益に加え、太っ腹のオーナー企業経営者のスポンサーや講演会クラウドファンドファンディングなどで資金を集め、一度も自分から寄附を頼んだことはないそうです。雅龍さんの夢を追う人生に共感する人はそれほど多いのです。

また、常にSNSで多くの人に近況や心情を発信できるようになったことで応援してくれる方々との距離が縮まり、資金集めが大きく変わったそうです。しかし、応援してくれる人たちには自筆で挨拶状や礼状を送り、感謝の気持ちを伝えることを忘れないきめ細やかさがあるからこそ、一見豪胆でわが道を行くイメージの雅龍さんがプロ冒険家の道を貫けるのだと思いました。

余談ですが、南極行きのフライトを独占しているALEというのも面白い会社です。アメリカ人の冒険家が資金を集めすぎて余ったお金で冒険家の支援を行う会社として始めたのだそうです。極地までのフライトとともに100人ものスタッフが集まるベースキャンプも提供しており、ニッチなビジネスをうまく運営しています。そして、雅龍さんに対しても、価格競争がないので最初に相談したときは1億円とふっかけましたが、計画を詰めていくうちに6500万円まで値下げしてくれたとのこと。それほどアコギではないようです。(笑) クジラ湾まで行くのは彼ひとりだし、極地で飛行機を飛ばすことには相応のリスクがあり、一気に飛ぶことはできないので、あらかじめ途中に何カ所か補給用の燃料を置いておくために何度も飛行機を飛ばす必要があるなどロジスティクスが大変なのでお金も掛かるのです。

雅龍さんの冒険家人生

雅龍さんのことは2019年のメスナールートによる南極点到達の時に知り、その後、SNSなどの発信を見守ってきました。最初は、冒険家と名乗って生きていくというすごく険しい道を歩いていることに感心していたのですが、知らず知らず、やりたいことがあるのに無理だと思ってチャレンジさえもしない自分に気づき、「どんな困難な目標でもチャレンジもせず諦めるなんて人間としてダメすぎじゃないか」と思うまでになってしまいました。雅龍さんの夢を追い求める生き方にはそういう影響力があります。笑 

雅龍さんの白瀬ルート企画書の表紙

雅龍さんは1982年生まれの38歳。秋田市で生まれ潟上市で育ち、秋田大学に進みました。子どもの頃はさぞかしガキ大将で近所の子どもたちを引き連れて遊んでいたのだろうと思ったら、よく熱を出す子で夜中に病院の救急のお世話になることもよくあったそうです。引っ込み思案で、自分の性格も顔も体格も大嫌いで、整形しようと思ったことすらあったそうです。写真を見るとなんとぜいたくなことと思いますが、とにかく雅龍さんは常に変わりたいと思い続けていました。そうした時に出会ったのが探検家の偉業を子供向けにまとめた「未知の世界を開いた探検」(金の星社)という本でした。

白瀬中尉に憧れるきっかけになった本

この本で多くの外国人探検家の中に、にかほ市出身の白瀬中尉が肩を並べているのを見て、世界初の南極点到達を目指しながら、途中で撤退を余儀なくされた彼の無念を思い、いつか自分が白瀬ルートで南極点に到達し、日の丸だけではなく秋田の県旗を翻らせる夢を抱くようになりました。

子どもの頃のコンプレックスとその反面のアスピレーションが普通の人は手の届かないと思って諦めてしまうものを目指す、今の生き方につながっているのかもしれません。

しかし、子どもの頃から冒険家を目指したというわけではありませんでした。ふつうに大学に行き、就職活動の時期になった時に、勉強には興味がなかったし、やりたいことも見つからなかったので、大学を休学して南米に渡り自転車であちこちを旅行したそうです。宿すら取らず、食べるものも節約し、日本では当たり前にあったものがない生活をし、人々の優しさに触れる経験をするうちにその後の人生の方向が決まりました。

周囲からはさんざん言われたそうです。同級生から「お前は社会から逃げている」と言われた時は、自分としては戦っているつもりなのに、と反発を感じる一方で、ずっとその言葉が心に引っかかっていたそうです。親にも理解されず、勘当同然で家を出て東京に行き、20代は浅草で人力車の会社を作っておカネを稼ぎながら世界中を旅行していました。

そして30歳になった時、雅龍さんは決意しました。プロの冒険家になること、そして白瀬ルートで南極点に達することを。それから数年かけて準備をし、まずは2019年に、日本人初となるメスナールートを単独無補給での踏破にチャレンジし、想定外の大雪にてこずり途中で燃料や食糧を補給しないという無補給の目標は断念しましたが2019年1月、南極点に到達しました。ですから、白瀬ルートでは何としても無補給を達成する強い決意です。

南極をひとり歩く

雅龍さんの冒険は、いつも単独。何日ひとりでいても苦にならない孤独を愛する人なのだろうと思ったのですが、実はそうではないそうです。「動物占い」ってありますよね。雅龍さんは群れで行動するヒツジなんだそうです。自分でもそういうところがあると思っており、「LINEの返信が遅いとすごく気になってしかたがない」ようなところもあるのだそうです。

メスナールートを行く(2018年12月2日)(photo:阿部雅龍)

ただ南極での行動中は何十日もひとり。聞こえるのは風の音と自分の心臓の鼓動だけ。白瀬ルートでは何千キロメートル圏内に誰も人がひとりもいないという状態になりますが、こういう時はむしろひとりを楽しんでいて、今の時代、南極のあちこちにいる冒険家たちは互いに衛星携帯電話のSMSのやり取りなどをしているのですが、敢えて返信しないことにしているそうです。

ひとりでいると、自分の中の引き出しが出て来て、それまでに世話になった人のことを思って感謝したり、普段、刺激の多い社会にいるときには出てこない思いがあふれてきます

コロナの影響で必要物資の調達に時間が掛かることを想定して10月半ばにチリのプンタアレナスに向かいます。そして11月始めにALEで南極のユニオン氷河に飛び、クジラ湾に向かいます。

今の冒険家に衛星携帯電話普通のスマホカメラは必携。今回は撮影のために初めてドローンも持って行きます。それにソニーのロボット犬aiboも一緒。こうしたものに使う電気は太陽光パネルで発電します。夏なので太陽は沈みませんから。

「単独」といいながら、撮影隊が一緒というのはよくあることですが、雅龍さんの場合は正真正銘の単独。撮影を1人でこなし、行動中も毎日、写真やコメントをSNSにアップしてくださるので、彼のチャレンジをすぐそばで見守っている感覚になります。

2019年1月21日、メスナルートで南極点に到達 秋田県旗も南極点に翻った!(photo:阿部雅龍)

2019年1月21日 メスナルートで南極点到達!秋田県旗も立ててくれてありがとう!今度は白瀬ルートで南極点到達を絶対実現してください!

雅龍さん!数々のリスクの待ち受ける冒険ですが、気を付けて行ってきてください。そして南極点に日の丸とともに秋田県旗を立ててください!天候が味方してくれることを祈っています。

そして、無事に帰ってきて、子どもたちのための冒険学校を設立すると同時に、新たな冒険に向けて準備を始めてください。

そう、白瀬ルートの踏破は子どもの頃からの夢でしたが、それを達成しても雅龍さんの冒険人生は続くのです。

公式HP:人力チャレンジ応援部: https://www.jinriki-support.com/abe/(事務局)

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まだ、数百万円の資金を調達する予定で、応援は大歓迎だそうです。雅龍さんに直接ご連絡ください。