「オープンイノベーション」 つまり技術を特許で縛らずオープンに顧客に提供する新事業を開始して約10年、この事業が斉藤光学製作所を新たな拡大路線に乗せました。2018年4月現在で従業員数は63人。毎年、数名ずつコンスタントに採用を続けているので平均年齢は37.8歳と若い。
そのきっかけになったのが2009年にインターオプティック社から買収したサファイア事業でした。このM&A(企業買収・合併)によって同社は、ガラス以外の固い材料、例えば半導体素材の研磨の技術を獲得したのです。
買収後、斉藤光学製作所は顧客が求める製品や技術を顧客と共同で開発していくオープンイノベーション事業を立ち上げました。自社の技術をオープンにするというのは技術を誇る会社にとっては勇気のいる決断だったと思います。しかし、それによって国内の大手企業だけでなく海外からも引き合いが来るようになりました。
研磨という工程には研磨剤や研磨パッドなどを使いますが、この研磨技術が半導体など最先端の製品で重要な役割を果たしています。誰でも名前を知っている一流メーカーが製品開発を競っており、斉藤光学製作所は新製品の性能を確かめて欲しいと依頼されたり、さまざまな素材の半導体の基板の研磨加工を頼まれたり、材料の評価をしたりと、あらゆる相談が持ち込まれるようになりました。
そうした顧客企業は、けっこう秋田から遠いところにあるのですが、「お客さんに新しい製品を持って当社に来てもらって、工場で従業員と一緒に開発するんです。そうしたときは何日か滞在してもらい、夜は大曲でおもてなしです」という齊藤社長、おいしい日本酒が目の前にあるかのように嬉しそう。田舎なことがメリットになって、来る企業の方も、うまいものが食べられてうまい酒が飲めると楽しみにしてくれているらしい。齊藤社長、ホームページの写真は、ちょっとこわもてですが、とても冗談好きで楽しい方でした。
斉藤光学製作所には営業部隊はいません。いらないのです。お客さんの方から来てくれるので (齊藤社長)
顧客の方から訪ねて来てくれて、それも研究開発の情報を持った方たちですから、自然と業界情報も集まってくるのだそうです。
斉藤光学製作所は創業当初、時計会社のガラスの研磨といった下請けの仕事が大半でした。しかし労働集約型から知識集約型への移行を目指して変革を図り、顧客企業から「斉藤光学製作所さんに頼めば何でも解決できる。開発のスピードが上がる」と言ってもらえるようになってきました。そのためには従業員にも知識や経験が必要。ですから同社は派遣など非正規従業員は少なく終身雇用が基本。誰にでもすぐできるような仕事はできるだけ減らしています。
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同社の顧客のうち県内は10%程度で残りは県外と海外。でも仕入れや部品の調達は県内企業にお願いしているので、「外貨を稼いで県内にお金を落とす」仕組みです。2017年12月には経済産業省から「地域未来牽引企業」に選定されました。また2018年11月には、秋田県優良中小企業者として表彰されました。そうした稼げる仕組みが評価されていると思っているそうです。
「求められたものを提供することによって会社の評価が上がっていくようになりました」(齊藤社長)
斉藤光学製作所は1977年、社長の父の齊藤登二氏が埼玉県に創業しました。1985年に秋田県の誘致によって仙北郡千畑村に秋田工場を建設しました。なぜ秋田にしたかというと、登二氏が象潟の出身だったから。それに社長が、田沢湖線の奥羽山脈に向かって走っていくような雄大な風景が好きだったからだそうです。当時はまだ従業員15人ぐらいで「町工場の孫々受けのような小さな会社」(齊藤社長)で、他の工業団地では、そんな小さいところが来てもしょうがない、何しに来るの?という目で見られたのに千畑村だけは「それでもいいから来て!来て!」と熱心に誘ってくださったそうです。
齊藤社長は24歳で単身で秋田に来て、それから30年、秋田で結婚し、家庭を持ち、しっかり秋田弁も身に付けました。
「最初は言葉が分からなかった。ただ埼玉で青年会議所に入っていたので、こっちに来てもまず青年会議所に入りました。畳に立て膝で座り、おしんこだけで3時間、4時間飲んでいました」。
秋田に来て早々、ノミニュケーションで鍛えられたようですがこれが性に合ったようです。また秋田県や千畑村などの助成金にも助けられました。
同社がM&Aとともに大きな転機になったのが秋田への本社移転です。2015年に秋田工場へ本社を移転し、名実ともに秋田の会社になりました。
息子の齊藤大樹 経営企画室経営管理グループマネージャーは、大学時代を仙台で過ごし、東京の会社に就職しましたが、地元に戻って来ました。「東京だと中途半端な能力では埋もれちゃう。秋田に帰ってくると何かをやろうと思って積極的に一歩踏み出せば、結果がついてくる」と思ったそうです。
齊藤社長も、この点について、「これは少子高齢化のいいところ。若い人たちが活躍しやすい。車が少ないから事故も起きない。高齢者の事故というのは車や人が多いところでパニックするから起きるが、秋田では起きない」と言う。面白い理屈です。
齊藤社長は、「東京は遊びに行くところ。やっぱり多くの時間を田舎で過ごして仕事をして東京に行くから楽しいんです。多くの時間を東京で過ごして少し田舎に来ても長い人生豊かにならない」と言い切ります。
社長は現在、58歳。60歳になったら経営から退くつもりです。「あとは嫁さんと二人で過ごす。豊かな老後のためには早めに子育てを終わられるように頑張ること」と話します。現在、大樹氏は31歳。余裕を持ってバトンタッチができそうです。社長は一線を退く前に専門家に社内の管理体制の整備を頼まなければと考えていたそうですが、大樹氏が今、まさにそこに取り組んでいます。
「若い人は若いリーダーのところに集まります。おとうさんやおじいちゃんのような人がやっている会社に誰が来きますか?」と、社長は早く退くことで若い力を呼び込めると考えています。
大樹氏は今、「ブランディング」に熱心に取り組んでいます。ブランディングとは、会社のイメージを高め共感や信頼感を持ってもらうこと。従業員に対する社内向けブランディングと顧客や潜在的顧客に対する社外向けブランディングの両方を進めています。従業員へのブランディングのため、斉藤光学製作所が顧客からどのような評価を得ているかを知ってもらい、働き甲斐や誇りを持ってもらえるように努めています。福利厚生では保育手当を導入し、幼稚園・保育園の費用の7割を支給しています。また2018年度には1年間の研修プログラムを作り実行したそうです。
また、「社長室面談」を実施しており、3カ月に1度、従業員一人ひとりと面談し、会社の制度や働き方について意見を聞くそうです。また、従業員に会社や自分の将来について考えてもらう機会を大切にしています。
新入社員には1カ月半の研修の後、5年後のビジョンや自分の長所短所などを話してもらう時間を設けているそうです。これは新入社員のためであると同時に管理職にも初心に帰ってもらうという効果があるそうです。毎月、管理職向けと従業員向けのランチョンミーティングもやっています。
これだけいろいろな機会を与えられると、従業員も、会社に対してものが言いやすくなりそう。
一方、顧客へのブランディングのためには、インターネットやsnsを使った発信の強化をしています。また、小学生から大学生まで職場体験やインターンシップの機会を提供して斉藤光学製作所の認知度向上に努めているそうです。
今年(2019年)の夏休みには、国際教養大学の学生さんたちとオーガニゼーション・イノベーション(組織改革)のプロジェクトに取り組みました。大学生たちに、製造業の仕事に魅力を感じてもらえるような動画の作成やホームページの充実をお願いしようと思っているそうです。また、秋田高等専門学校の学生さんたちも2週間のインターン体験をされたそうです。学生さんたちと会社が、互いに学び合えるいい機会になるといいなと思いました。
最後に若い人へ伝えたいことはありませんか?と社長に尋ねてみました。
「目の前のことだけで判断するんじゃなくで中長期的にすべてのことを合わせて決められるようになって欲しい。今やってることが5年後にうまくいかないことが分かるなら今のうちに止めた方がいいと思う。仕事は退職したときに『えがったな~』と思えるかどうか。でも仕事は人生の一部に過ぎない。仕事に支配されないように」
ただ、問題は若い人よりも、若い人を教育する世代と感じているとのこと。そうしたことが同社が高校生、大学生のインターンや小中学生の職場体験などに力を入れる原動力になっているのではないでしょうか。これが製造業への興味を育てることは間違いありません。
◆斉藤光学製作所のホームページ
◆斉藤光学製作所のFacebook
◆ 秋田県就活情報サイト KocchAke!(斉藤光学製作所の採用に関する詳細が掲載されています)
取材・写真:佐藤裕佳、薄木伸康 文:竹内カンナ