地方を元気にしたい若者のバイブル、雑誌「ソトコト」の編集長、指出一正編集長が1月31日、忙しい時間を縫って秋田産業サポータークラブのメンバーのために「関係人口」についてお話ししてくださいました。ちょっと時間がたってしまいましたが、さまざまなエピソードがどれも面白く、カットすることができず、ほぼそのまま書き起こしてしまいました!(笑)
指出さんは、若者たちと一緒に全国各地に行き、若者が持つエネルギーが、彼らと触れ合った地元の大人に伝わって、地域を活性化するエネルギーに転じるのを感じています。
ただでも長いといわれるWE LOVE AKITAの投稿の中でも最長不倒間違いないので3分割でお送りすることにしました。これはその2です。
イワナとタナゴ
このあとのお話をさせていただくうえで僕の考え方を紹介させてください。僕は2種類の生きものでしか社会を見ていません。それがこれです。イワナとタナゴです。イワナは美しい森の象徴で、タナゴ は肥沃な田園地帯の象徴です。
変ですよね。僕、もともとただのアウトドア雑誌の編集者なんです。大学4年から山と渓谷社が発行していたアウトドア雑誌の編集部でずっと働いていて、東京がまだバブルの余波で浮かれていて、やれ代官山だとか言っているときに、それこそ八郎潟にいました。三種町によく行っていました。そこで気が付いた。なんだ、東京で作れないかっこいい風景や事象がローカルにあるじゃないか。だから、このことを知らないより知っている方がはるかに人生は豊かになるし、日本で作られる東京メイドじゃないものに豊かさを感じられる若い人が増えていくんじゃないかなと思っていました。自分自身は基本、視野の狭い人間ですから、魚でしか物事を測っていません。そこの土地の豊かさはイワナとタナゴがいるかどうかです。そうすると秋田県は飛び出ていますね。間違いないです。
トークイベントが終わった後に若い人が目を輝かせて僕のところにやってきてくれることがよくあります。何のためか、というと報告なんですね。何の報告か。自分の大好きな場所に出会ったという報告です。
「指出さん、週末に東北の超かっこいいところに行ってきました」、どこ?って聞くと、「いや、なんか400年続く味噌醤油の会社があってそこにデザインを専門に学んだ3代目、4代目の若手の跡取りがいて、先代が大事にしていた麹(こうじ)をつかって味噌醤油を作りながら、若い人たちがやってくるギャラリーをやっている。めっちゃかっこいいですね。秋田って」っていうんです。この人たちが見ている場所と僕がこの2種類の魚がいて最高だなと思う場所が、ほとんど相似します。だから、先行してまちづくりが盛んだとか、若い人たちが来ているなんてことももちろん大切なのですが、その大元としてその場所に人の心を震えさせられるものがちゃんとあるのかどうかなのです。それがあれば世代を超えて伝わります。それを伝える時に、インタープリター(通訳)みたいな人が必要かもしれない。しかし、それがあるところは大いに胸を張ったらいいと思うんです。
今、いろんなオンラインサロンなんかもやっています。このあと、渋谷で、オンラインでいろんな人がつながれるかどうか実験しています。僕は関係案内所と関係人口のことをまとめたこの本もプロデュースしています。
地域の編集学校
僕が今、事業としてお仕事をさせていただいているエリアについてお話しさせていただきます。圧倒的に西日本が多いです。湯沢市からお声掛けいただいたのが東北ではほぼ初めて。一回、岩手の岩泉町とやったことがありますが、ずいぶん前のことで、関係人口の文脈で初めて声を掛けていただいたのは、湯沢市が初めて。嬉しい限りで続けていけたらなと思っています。
西日本でいえば、例えば高知県。去年から地域の編集学校というのを始めました。高知県の四万十川の源流にある津野(つの)町。県のデータをみると観光でやってくる人で津野町に足を運ぶのは総数で0.5%。観光で新しい人がやってくる流れを作りきれていない。魅力的なのは四万十川の源流点があること。とうとうと流れる大河の源がここなんです。ここが汚れては元も子もない。SDGsとかトレーサビリティとかこれから起こることの先を見越すような優しさと考えを津野町の人は持っている。でもインパクトのある観光の商品は少ないので、どうしても中村地域とか、四万十町とかのダイナミックな四万十川の中下流域に人が集まってしまう。
それで町長さんと担当の方から、この場所に若い人がやってくる流れを作って欲しいと頼まれました。おやすい御用だといいました。「簡単なことです。観光で来る人を狙わなければいいんです。その町が好きになって、ここで町づくりをやってみたいという人に狙いを定めてみたらどうですか、関係人口の創出です」という話をしたんです。で、2018年12月から2019年3月にかけて、第1期の事業を始めました。
それが地域の編集学校。津野町にやってきて授業を受ける。これ、実はスパルタです。多くの行政の皆さんが事業を依頼するときは、会場は東京か大阪が多いんですね。それには2つの理由があります。若い人の人口が多いからという攻めの理由があります。もう一つは東京や大阪でやっても人が集まらないのなら仕方がないという逃げの理由です。どっちにしても、もったいない。何よりも東京や大阪で50~100人を集客できたとしても喜んではいけません。その人たちがこの源流点に来なければ意味がないんです。1度や2度は来る。それが自分たちの中でその場所を見つけた喜びに変わるわけです。そこで、「真冬の寒い時期に、地域を編集するノウハウを僕が教えます。四万十川の源流点がある津野町というところに来てください」と呼び掛けました。
来てくれる人はいるのかな、若い人来るかなと心配しましたが、杞憂に終わりました。20名の若者が高知県内外からやってきたんです。これまで津野町に来たことのある人はいませんでした。何で来たの?と聞いたら、「地域に関わることをやってみたかった」というシンプルな答えでした。でも、これが大事です。地域に関わるための方法や場所を教えてくれるところがここしかなかった。地域を編集するということ自体がなかなかない機会だったのかもしれません。嬉しいですよね。広島から来た女の子、高知大学の男の子と女の子はライドシェアして車で来てくれた。自分が初めて訪れた津野町について考える授業が年をまたいで繰り返されました。
僕もそうですが、みんな強い人間ばかりではありません。若い人は特に自分が何者かわからないでモンモンとしています。そのモンモンとした弱い存在である若者と、0.5%しか観光客が来ない、つまり観光という点では弱い津野町がピッタリ波長が合うわけです。どっちも弱いからです。マッチョXマッチョの場所を作りたいのか。それとも人の痛みが分かる優しさあふれる若者が集まる町を作りたいのか。それは行政の方やそこを愛する人が決めればいいんですが、僕の作戦はいつも後者です。空を飛べなくてもいいじゃないか。それより町の温かさや弱さに寄り添って、自分もそこで成長していき、町の未来を作るような感覚を育てられたら楽しいじゃないかというのが僕のいつものやり方です。そうやって実は町内外の人に受けてもらう仕掛けにしたので、ただ町の外から来る若者の成長劇という美談には終わりません。両面がA面の立て付けです。
津野町にやってきた若者が町の人と仲良くなっていく。この写真を見ていただくとおとうさんとかおじさんも入っている。この人たちは町内の人たちです。なんか若い人たちが来て、仲間に入れてもらったら楽しそうだなと思ってやってきた。こうやって町のことを面白くしたいというプロジェクトを、それぞれが作る。その人たちに僕が「場のディレクター」の称号を授けたんですが、それで終わっては何の意味もないですよね。
この講座は、ソトコトが津野町の基本構想の事業を町から受託して作りました。なぜ、それをやったか、その基本構想は、津野町の四万十川の源流点に新しい宿泊施設を作るために町内や町外のユーザーの意見を聞いて報告書を作って欲しいというものでした。その報告書を彼らと一緒にこういうプロジェクトをやることで作り上げたんです。なので僕がやろうとしていたことは、まず、報告書を作るという主題のスキームの中で、施設のオープンの前の段階から彼らに津野町の仲間=関係人口になってもらうということが狙いでした。
しまコトアカデミー
今、10ほどの行政から依頼を受けています。自分は成果を出せればなと思ってやっています。もともとは関係人口という言葉の具体のモデルになったのが2012年に始まった島根県の「しまコトアカデミー」という関係人口の創出の講座です。これの監修とメイン講師を最初から務めさせてもらっています。
島根県は1992年、東京が元気でまだバブルの余波があり浮かれている頃に人口減少が始まっていました。これはもう大変なことになるといち早く気づきました。島根は過疎という言葉が生まれた県ですからね。それで「ふるさと島根定住財団」という移住定住のプロ集団が創設されました。できてから27年たちます。27年の長があります。日本各地で移住定住フェアを独自に開いています。かないっこありません。移住定住のビッグデータは島根にあります。
2012年に、島根県の担当者の説明を聞きました。これから国が地方創生を掲げます。まさにこの2年後に掲げました。そうなると何が起きるか。東京の大きな移住フェアなどで若い移住希望者の奪い合いが始まりました。ハッピを着てのぼりを立てて、ブースを作って一生懸命声を掛けて徒労に終わることも。実際に自治体で仕事をしている若い行政職員たちが疲弊していくのをみているのも心苦しい。もしも自分の県だけに人が来ても、他が減るならそれでいいのか。それでもう一つの方法を考えたのです。「移住しなくても構わないので、島根のことを東京で考えてくれる若者を増やしたいんです」とのリクエストから、しまコトアカデミーが始まりました。今度9年目を迎えます。関西講座で6年目を迎えました。今年は広島で始まりました。そしてさらに島根県内でも始まりました。今、卒業生を含めてコミュニティーが500名以上になりました。そして何よりも、関係人口イコール移住定住ではもちろんないけれど、その中から移住定住する人も出てくるんです。
しまコトアカデミーが5期終わった段階では80名卒業して20名ぐらいが移住しました。そのうちの8割が起業や地域貢献に関連する企業に就職したんです。しかもお年寄りのための音楽療法の社団法人を作った女の子とか、地元のシャッタ―街でパンまつりをやって大成功をおさめた女の子とか。地元の大学生とちょっと上の人が出会えるシェアハウスを作ってくれた人とか。いろんな人たちが現れました。移住・定住が目的ではないから、自分が島根と、どう関わっていったらいいか、みたいなことを緩やかに9年掛けて発案したり実践したりしてきたんですね。これがしまコトアカデミーです。このしまコトは西日本の行政の間で大きな話題になりました。広島県さんや奈良県さんといったそれぞれ人口急減地域を抱えるところの課長、局長さんから、しまコトと同じようなことをやりたいんですが、うちの地域に合ったことができないでしょうかと依頼を受けました。その結果、現在10行政ぐらいからのご依頼を受けています。
むらコトアカデミー
これは奈良県の下北山村から依頼を受けた「むらコトアカデミー」です。人口800人の村です。奈良市内の人もなかなかいく機会がないかも、という声もあるようです。下北山村、僕は27年通っています。奥大和地域のいちばん南に近い。村長の南さんは僕の大好きな村長さんです。依頼を受け、「関係人口づくりをうちの村で」と言われ、おやすいご用です、大好きな下北山村のためにお役に立てればと答えました。
そのとき村長さんに、「でも村長さん、下北山村は若者がいっぱい来てるじゃないですか」といいました。そうなんです、下北山村にはスポーツ村という西日本で人気ナンバーワンのキャンプ場とテニスコートやサッカー場のある合宿所があるんです。夏になると予約が取れないぐらい高校生やキャンパーがやってくる。またダムがあり、そこでは世界記録になるような大きな魚がルアーフィッシングで釣れます。日本中の憧れの場所です。だから人はいっぱいやってくるんです。でも村としては人口が減って寂しくなっている。やってくる人は多いけど地域に関わる人がいないわけです。だから、「村長、日本橋で働いている可愛い女の子がやってくる講座にしましょうよ」と言いました。
800人の村ですから50人の関係人口をいきなり増やす必要はないと思います。ですから10人ぐらいで、小さく小さく温かくやりましょうよと言って受けてくれたのが12人前後の男の子、女の子。
5年たって、ここの卒業生が何をやっているかというと、東京の日本橋で、村長も僕もお願いしていないのに勝手に下北山村のイベントを開いてくれています。下北山村の「めはり寿司」をみんなで作って食べようとか、奥大和の柿の葉寿司味のポテトチップスを食べながら下北山村の未来を語ろうとか。自発的にやってくれて、そこに仲間が集まるんです。
どうやって彼らは下北山村のことを好きになったのでしょうか。これは座学とインターンシップを組み合わせた講座です。インターンシップでは2泊3日で下北山村を訪れるんですけど、何を見て、何をするみたいなことは事前にインプットしません。ほとんど自由な感じで2泊3日を過ごしてもらう。そういう立て付けです。
そして例えば池がご神体の池神社があります。いいことが起きると池の底から古い大きな木が浮かび上がって池の真ん中でぐるぐる回るそうです。嘘かまことか行ってみてください。前鬼(ゼンキ)という集落があります。そこを流れる前鬼川。その山を上がっていくとまだ鬼が住んでいます。五鬼助(ゴキジョ)さんという素敵な鬼の末裔のご夫婦が住んでいます。毎年会いにいくのが楽しみで仕方がありません。1300年前からある集落です。61代目の鬼の末裔である五鬼助さんが、いつも迎えてくれます。受講生とともに「今年もよろしくお願いします」と言うと「よくいらっしゃいました」と迎えてくれます。五鬼助さんは鬼の末裔ですよねというと、「いつも言っているじゃないですか、それが何か?」みたいなことを言う。奥さんも「はい、そうですね」とうなづきます。
ここは初代から宿坊なんですね。大峯奥駈道(オオミネオクガケミチ)を行き来する修験者が泊まりに来る宿坊です。五鬼助さんは、前鬼と後鬼という鬼の夫婦の末裔。前鬼と後鬼は仕えていた役業者から「おまえたちも徳を積んだからそろそろ人間になっていいぞ」と言われ、奥駈道を下りて来たのです。こちらに五鬼助さんの系図累代簿があります。注目すべきはいつ、先代のみなさんが亡くなったかです。初代195歳、2代目147歳、3代目137歳、4代目115歳、5代目で98歳。徐々に人間になっていっているような数字です。こういうものを何のインプットもなしに見せられた都会生まれの女の子たち。
「めっちゃいい、下北山村」、「わたしが見つけた村だ!」と感じるんです。この「わたしが見つけたまち」という感覚を大事にしなければいけません。僕がいろんなことをインプットして理論武装して行っても自分が見つけた町という感覚にはなりません。その人が自分で見つけたと感じることが関係人口の基本です。だからけっして有名じゃなくてもいいんです。京都や鎌倉に負けていてもいいんです。たとえば岐阜県の各務原市。最高の地元の若者たちが誰も使っていなかった公園に1日4万人が集まるイベントを育て、日常的に人々が公園を行き来する風景をつくり上げました。
下北山村のおかあさんが作ったお寿司、めっちゃ神業だ。表参道では食べられないハイクオリティのローカルフードだ。こういう風に感じるようになると、ほんとうにその地域をいとおしく感じるようになります。秋田にもたくさん、たくさん素敵な地域が見つけられるのを待っているんだろうなと僕は思います。そういう場所を見つけた女の子たちは、自分たちに何ができるんだろうなと思う。下北山村では中学を出ると高校は熊野や奈良に出ていく。そういう町に若い人たちがやってきたり、町の人たちが面白さを感じてくれるような仕組みを作るのです。
実は下北山村からご依頼いただいている講座では自分の中で印象深いことが起きた。だいたいこういう講座では受けた若い人が成長し、それが美談。でもちょっと待てよ。お金を出したのは町や村。ほんとに町や村のためになっているのって言われるんこともあるんですよね。まさに僕もそうだと思うんです。だから若者の成長劇はA面。でも地域の人たちの幸福度が上がることもA面でなければいけない。
下北山村の講座は第2期目、3期目になってここに集い、暮らす若者が出始めました。そこで暮らして自分の仕事をここでやるような若者がこの講座から出たんですね。村のみなさんは内心、こう思っているかもしれません。なんだっけあのヒトゴトだかヨソゴトだか、タニンゴトみたいな名前の雑誌の前髪長いよくしゃべるヘナっとしたサシデガマシイとかいう名前のやつが言っていたのがほんとうだった。若い人たちが下北山村に来るようになった。だったら、若い人たちはそんなお金ないだろうから、もっと安く泊まれるところがあったらいいだろうといって村の人たちがゲストハウスを作ってくれた。それも1年間で別々に3棟です。
さらに村は拍車を掛けます。働き盛りの若い人たちが有休や代休を使って来るにしても、ちょっとは仕事ができるところがあったらいいんでないかといって廃校になった幼稚園を使ってコワーキングスペースを作ってくれました。ここを使う人が現れるのかみんな心配していましたが杞憂に終わりました。作るやいなや常駐する若者が出てきたからです。東京のベンチャー企業の女の子が常駐するようになりました。4年になりますが、今もいらっしゃいます。それから老舗のローカルメディアの編集部が、女の子の編集者をここに常駐させました。さらにこの若い人たちのコミュニティーができたのをきっかけに、林業をやりたい男の子、女の子が地域おこし協力隊の制度を使って入って来た。こうやって奈良市内の人からも遠いと認識されがちな場所にやってくるようになった。
こういう場所ができると何が変わるか。夜が変わる。夜になると常駐している若い人たちが村長を囲んでご飯を食べる。これは大きな変化です。僕たち、都会に住んでる大人や行政の首長ができてないことを、小さな村の首長たちがやっている。政治ってめっちゃ他人ごとだと思っていたけど南村長とビールを飲みながら話していると村長も失敗するし、汗や涙を流している。生身の人間だなとわかります。「自分も自分の町のことをもっと自分のこととして考えてみるきっかけになりました。村長ありがとう」といって帰るんですよね。
村で休眠していた林業施設、製材所を若い人が中心になってよみがえらせました。これは若い人たちが下北山のことを共有できるようになったことのいい結果ですね。こうやって下北山村はむらコトアカデミーが始まったことをひとつのきっかけとして、空気が変わっていきました。僕はうれしいことを村長と副村長から言われました。毎年夏に必ず行って、村長とバーベキューをしてお酒を飲むんですけど、村長からこう言われました。最近、村のみんなからほめられる、『このごろ、村に若い人たちがやってくる。よくやった』と。言うなれば、村の中を若者が歩いているだけなのに、歩いているだけでほめられると。正しいですよね。若い人たちが楽しそうに歩いていたらそれで地方創生です。おばあちゃんが僕に話しかけてきます。「そういうことをやることでまちの中がなんだかぱっと明るくなっていいわね」と話しかけてきます。そこから始まります。そういうことをまず面白いと思い、そういう人を育てることが地域づくりの第1歩です。
(3に続く)
◆取材・記事:竹内カンナ